アンチエイジング散歩

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東京オリンピック開幕まであと1年。
今週はテレビでオリンピック関連の放送が多かった。それと前後して各地で次々と梅雨が明ける一方、台風6号が日本列島を直撃。これが通り過ぎれば夏本番、熱中症シーズンも本番だ。今さらながら、亜熱帯化が進む真夏の東京でオリンピックを開催して大丈夫なのだろうか。

TOKYO 1964!

前回の東京オリンピックが開催されたのは1964年。僕がニューヨークでの外科修業にひと区切りをつけて日本に帰国したのがその年の夏の終わり。妻と2人の息子たちを連れての1ヶ月半にわたるアメリカ横断キャンプ生活を終え、帰り着いた東京の夏はまだ「普通の」暑さだった。東京オリンピックが開催されたのはそれから間もない10月。当時は新しい仕事に忙殺されていたためか、あるいはもともとスポーツに疎かったためか、残念ながらオリンピック自体の記憶はあまり無い。

だが、オリンピックに間に合わせて大改造が施された東京の街の変貌ぶりは、55年前経った今も目に焼き付いている。東京育ちとはいえ、パソコンやインターネットはもちろん存在せず、日本の新聞にすらお目にかかることなく8年ぶりに帰国した浦島太郎だ。東京は知っているようで知らない街に生まれ変わっていた。

東京タワー、首都高速道路、東海道新幹線などなど。東京タワーは東京でのオリンピック開催が決まる前に完成していたようだが、いずれも僕が日本を発った1956年には着工すらされておらず、いきなり完成品とのご対面だった。

スポーツはゲームのみにあらず

僕は子供の時からスポーツが苦手だった。幼少時から体操や運動が特別嫌いだったということでもなかったが、学校では太平洋戦争が始まる頃から「体錬」という新たな教科名のもと、武道や軍事教練のような運動が増えたことと無縁ではない。10代から20代にかけてはサイクリングにかなりのめり込んだ時期もあったので、スポーツ嫌いというよりは一定のルールやエリアの中で競争・勝負するような運動・スポーツが苦手だったと言えるだろう。

オリンピックは通常、英語で「Olympic Games」と呼ぶ。ゲームなので当然のことながら競争や勝負が主体。そのためのルールもある。運動以外で日々ルールに縛られ競争を強いられていた僕がオリンピックにあまり興味を持たなかったのはこのためかもしれない。あるいは、内科医なのにゴルフに魂を持って行かれたのではないかと思えるほどゴルフに半生を捧げた父を幾分冷ややかに眺めていたためだろうか。

では僕が運動をしていなかったかというと必ずしもそうではない。医者になってからもスポーツとしての運動は少なかったが、日常的な運動量はむしろ多い方だった。

運動はスポーツのみにあらず

僕が形成外科を開設するために北里大学に転職したのが1973年、41歳の時。以後、65歳の定年までを過ごした北里大学病院の建物は5年ほど前に建て替えられたが、僕の在籍当時、形成外科病棟は7階、特別病棟は9階、そして形成外科第2研究室は地階にあり教授室は別の棟にあった。僕はこれらのフロアを基本的にエレベーターを使うことなく階段で毎日幾度も往復していた。

相模原の広大な土地に建てられた病院だったため、階段以外のフロア内移動や駐車場の往復など、院内はもちろん週末は街中やドライブ先でも、日々かなりの距離を歩いていた。いわゆるスポーツは何もしない僕だったが、日々の運動量は趣味で時々テニスやゴルフをする同僚たちよりも遥かに多かったはずだ。

退職後は、その時どきの勤務場所との兼ね合いもあり階段を利用する場合の階数や頻度は徐々に減ったが、それに反比例するかのように散歩も兼ねた徒歩での移動が増えた。特別意識して階段昇降から散歩へ移行したわけではなかったが、結果的には、年齢を重ねるとともに階段の昇降による膝関節や股関節への負担を減らす一方で、散歩によりある程度の運動量は維持できたことになる。また、その散歩の途中で立ち寄るカフェや本屋が具合良く「心のアンチエイジング」効果をもたらしてくれた。

7年前、80歳の時に巻き込まれたタクシー事故では腰椎圧迫骨折などの重傷を負い、2ヶ月間を古巣北里大学病院のベッドの上で過ごした。以後は痛みやしびれの後遺症もあるため歩行距離はかなり減ったが、体力や体調に応じた無理のない散歩は現在でも続けている。

アンチエイジングは運動のみにあらず

ところで、前述の北里大学病院「形成外科第2研究室」というのは僕の在籍当時の通称だ。正式名称は「北里カフェテラス」。帝国ホテル直営の院内レストランだった。地下といっても窓外には池のある中庭が広がる実に心地よい場所だった。

北里大学は大学紛争をきっかけとして誕生した大学だったこともあり、いわゆる「医局」が存在しなかった。医局制度こそが諸悪の根源だと考えられていたためだ。制度としての医局はともかく場所としての医局がないと居場所に困ることも多い。僕は60歳を境に臨床から研究に軸足を移していたため、最後の数年間はほぼ毎日、日によっては半日をこの「第2研究室」でコーヒーを飲みながら文献を読んだり原稿を書いたりして過ごした。今思い返すとこれが還暦を迎えた僕にとっては「心のアンチエイジング事始め」だったのかもしれない。

食事や睡眠も含め、日常生活の中で無理なく、体に良さそうなことは増やし、悪そうなことは減らすのがアンチエイジングの基本。時には、長年体に良い、あるいは悪いとされてきた定説が新たな研究により覆ることもあるため、良し悪しは必ずしも自分だけでは判断できない。だが、何かを「無理なく」できるかどうかの判断に必要なのは自分自身の心だけ。その意味でも心のアンチエイジングは大切だ。

運動はスポーツのみにあらず。アンチエイジングは運動のみにあらず。
「無理ないアンチエイジング」を心がけ、健康長寿で行こう!

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」