かつての若者は、サッカー観戦ととてもよい関係にあった。学生の卒業旅行と言えば、欧州サッカー観戦というぐらい、定番化していた。欧州を歩けば、サッカー所といわれる各所で、犬も歩けば棒に当たるくらい頻繁に彼らと遭遇した。

 いまロシアW杯の現場で、かつての日本人学生の役割を果たしているのは、中国人、韓国人の若者だ。単身でロシア各地を旅して歩いている青年の姿をよく見かける。先日乗車した、サンクトペテルブルグ行きの新幹線でも遭遇した。

 この状態が続けば、W杯に出場する日本代表を追いかけて、現地まで応援に駆けつけようとする人、すなわちサポーターは減少する一方である。日本代表の成績より、こちらの方が僕には心配になる。

 サッカーのみならず、海外でスポーツを観戦することは、世界の常識を知るいい機会だと自負している。「スポーツに国境はない」と言われる。実際には、国境を感じる場合もあれば、感じない場合もあるのだが、そうした感情を交互に味わいやすい現場にいると、バランスが養われること請け合いだ。人としての嗜みを学ぶ場として、これほど最適な場所はない。

 外国人をお迎えする場合、不可欠な感覚でもある。「お・も・て・な・し」を、実際にされたことがなければ、その有り難みはわからない。その重要性や必要性もわからない。

 日本人は日本代表より、日本人を心配すべきではないのか。W杯取材を通して思うことは、むしろこちらの方。変容するサポーターの姿に、日本の病巣を見る気がする。