校閲あっての文章でもあります(画像はイメージです)。

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ネットでも何かと話題の石原さとみ主演ドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』。

あくまでフィクションなので、リアリティ云々はともかくとして、校閲部に対して「ヒマだな〜」などと見下す貝塚(青木崇高)が「ダメ編集者」であることは、ドラマの設定と同様、現実においても明らかである。

なぜなら「校閲者」の仕事については、「見下し」どころか、むしろ頭が上がらない編集者・ライターが非常に多いからだ。
そこで、編集者・ライターに、「校閲」にまつわるエピソードなどを聞いてみた。

こんなところまで!? 細かすぎる校閲者の凄技


「ルポ記事で『〇〇の裏手の神社を過ぎたあたりに〜』などと書いたところ、校閲さんが地図で調べたうえで付箋と『?』をつけてきた。内容は、『〇〇付近には神社とお寺の両方がありますが、神社のほうで大丈夫ですか』というもの。主題にはほぼ関係ない描写だったけど、『そんなところまで細かく確認してくれているとは!』とビックリし、ありがたくなった」(月刊誌記者)

「官能小説の挿絵に、着物姿の女性が小さく描かれていたのだが、校閲さんから『着物の前合わせが反対では?』という指摘が。また、着物の柄について『季節が違うかも?』とか、『この時代に、この小物はまだ使われていないのでは?』といった指摘があったこともありました。文字はしっかり見ているけど、挿絵の中の着物や小物にはあまり目がいっていなかったので、非常に助かりました」(官能小説編集者)

「週刊誌の記事で、予定より前の号での掲載に変更になった際、冒頭の『〇〇が発売されたばかり〜』といった記述が、まだ発売されていない時点での話になってしまっていた。予定通りの掲載スケジュールであれば問題ない記述だったため、筆者も編集者もスルーしてしまっていたところ、校閲さんが気づいてくれたのは、本当に助かった!」(週刊誌編集者)

「ある大物歴史小説家の先生の原稿に、校閲者から『?』として指摘が入ったことがありました。その先生は資料読みが非常に得意な方でしたが、それでも見落としていた箇所に校閲者が気づいたことで、先生から直筆の感謝の手紙が届いたそうです。それは校閲者の家宝になっているそうですよ」(週刊誌編集者)

「歴史雑学本、漢字雑学本などは、特に知識と経験豊富な校閲さんをぜひともおさえたいところ。でも、そうした腕の良いベテラン校閲者のスケジュールをいち早くおさえているのは、官能小説編集部だった。官能小説には普段使わない言葉、難読漢字が溢れているから、特に校閲者の腕が問われるらしい」(実用系出版編集者)

「いつもゲラを『?』の付箋だらけにしてくる校閲さん。山ほどの疑問・確認箇所には、『そんな小さいこと、どうでもいいでしょ』と思うときもあるし、心が折れることも多々ある。でも、それは絶対的安心感につながってもいて、ときどき『?』の付箋のないページがあると、むしろ不安になってくるくらい」(週刊誌記者)

「校閲さんからゲラに添付される参考文献や雑誌・新聞等の資料の数々を見るだけで、頼もしさを感じてしまう」(書籍ライター)

「校閲」があるのは、当たり前じゃない!


「そもそも“校閲”が必ずあると思ったら大間違い。これは『社内に校閲部があるのが一部大手や新聞社系出版だけ』という意味ではない。 “原稿を担当編集者(+デスク、あるいはダブルチェックの編集者)以外が読んでいない、プロの校閲の目が入っていない”ということ。web記事や、中小出版社の書籍やタブロイド紙、なかには大手出版社の雑誌でも、校閲が一切入らないものがある」(雑誌・タブロイド紙・webライター)

「著者と編集者が何度も何度も目を通しても、第三者の目が入らないと、見落としてしまうものは残念ながらある。しかも、ひどい場合には、編集者から『原稿拝受』の一言すらなく、ゲラも送られてこないまま、企画が流れたのかと思っていると、突然、掲載誌が届き、見てみると、一字一句手を入れていない原稿がそのまま載っていたなんてことも(※これ、案外少なくない)。たとえ内容が評価されても、誤植があると、それだけで記事や本の信頼度は一気に低下してしまう。だからこそ、プロの校閲者が見てくれるかどうかで、書き手の安心感が大きく異なるのは言うまでもない」(書籍・雑誌・webライター)

様々な雑誌記事や書籍などの「信頼度」を支える「校閲」というお仕事。ちなみに、自分の経験上では、企画をガンガン出す編集者や、取材・執筆をガンガン行う記者には校閲が得手でない人も少なくない印象がある。
もちろんどちらもできるのが理想だが、そうした編集+書き手のタッグのときには余計に校閲者のありがたみがしみじみ感じられるのだった。
(田幸和歌子)