ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回は『スーサイド・スクワッド』について語り合います。


ゴジラシリーズと似た構造?


藤田 『スーサイド・スクワッド』は、バットマンを中心とするDCコミックスの『DCエクステンデッド・ユニバース』シリーズの一作。スーパーマンがいなくなったあとの世界を守るために、DCコミックスの悪役(ヴィラン)たちを集めた舞台を作ろうっていう話。言ってみれば、『アヴェンジャーズ』の悪役版。日本では、DCコミックスを皆があまり読んでいないと思うので(ぼくもとても追い切れません)、キャラがよく分からないということになりそうですが、ぼくは充分に楽しめました。
 で、いきなりネタバレしますので、注意をw

飯田 僕も『スーサイド・スクワッド』のコミックスは小学館集英社プロダクションから出た翻訳一冊しか読んでません、すみません。
で、今回の映画版ですけど、脅威に備えて極悪犯罪者集めてスーサイド・スクワッド(決死隊)をつくらせる米国政府の鬼高官アマンダ・ウォラー(黒人のおばちゃん)が全部悪いって話でしょ? あの黒人のおばちゃんがよけいなことしなければなんの問題もなかった。あいつのせいで今回のラスボス(メタヒューマン)は生まれるは、スクワッドに入れられたハーレイ・クインを奪還しに恋人のジョーカーがやってくるは……面倒があれこれ生まれちゃった。すごい徒労だよね。
あれ、お前が何もしなければよかったんじゃね?w と。

藤田 そういう話ですね。ぼくは、そこがよかった。

飯田 いろんな人を巻き込んで自分からやっかいごとをつくり、いろんな人を巻き込んでそれを片付け、つじつまあわせにすごいコストを払ってなんとかすると。映画制作の比喩だと思うと気が利いているなと思いましたけど。

藤田 ええと、読者に分かるように説明すると(ネタバレしますが)、スーパーマン亡き後に、悪意を持ったスーパーマンが来たらどうするんだ? 的な問題意識で、悪役を集めた部隊・通称スーサイド・スクワッドが結成されるわけですが……
 その結成そのものによって、また次の惨事が発生する。何かへの対策が、むしろ原因となるパターンですね。映画全体が、その尻拭いの無意味さと徒労感を描いている。
 この構造自体は、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)と同じなんですよ。ゴジラがまた来たらどうしようかと思って、心配してメカゴジラを作ったら、メカゴジラがゴジラを呼び寄せてしまって、不安が実現してしまう。
 もっと古くから言えば、ギリシャ悲劇の『オイディプス王』なんかもそういう構造です。国に疫病が蔓延して、その呪いの原因を王が捜し求めて、突き止めたら、自分だったという構造ですね。悲劇の基本的なパターンです。それを、どう味付けしているのかが本作の見所かと。 

飯田 ソ連時代のシベリア強制労働みたいな話だと。自分でスコップ使って穴を掘り、その穴を自分で埋める。まったく無意味な労働。しかもなんかあったらすぐ射殺されて死体になってそこに埋められちゃう。みたいな。

藤田 しかも、救助に向かった相手が、その舞台を結成した人で、司令所でもあったという逆転がある。目的と結果の逆転の構造は、意図的にたくさん仕掛けられています。
 「自殺部隊」なのは、悪役だけじゃなくて、この作戦全体が、過剰な恐怖と不安に煽られて打った対策それ自体に首を絞められるという、神経症っぽいというか、半ば自殺みたいなものですよね。政府も政府で、悪人並みの自殺行為をしている。
 政府側にいる、黒人女性のおばちゃんよりも、「悪役」であるはずのやつの方が、人情もあり、正義心もあるように描かれているのも、逆転の一つです。政府側のおばちゃんは、機密保持のため、容赦なく部下を何人も射殺して、悪役からも「ヤバイ」と言われている。しかも、この事件を隠蔽しようと工作までする。

飯田 まあでもそういう話は70〜80年代の冒険小説にもいっぱいあるからねえ……。

悪趣味なデザインの祝祭性


藤田 で、この救いのない、単に陰惨なだけの悲劇(解決への努力が悲惨を生み、正義は悪より悪く、無意味に死んだ人は無意味に死ぬだけ)ってのを、悪趣味でゴテゴテしたデザインの建築や衣装や色味で、明るく楽しく、バカげたお祭りのように描いているところが面白いって感じがしましたね。悲劇をやりすごす、悪趣味な祝祭性を体現しているというかな……
 なかでもいいのは、やっぱり、ハーレイ・クインですね。ゲーム版の『バットマン』アーカムシリーズで、実にいいキャラクターだなと思っていた。人工性・演技性の高い役を、見事に実写で生身の役者が体現できていた。
 彼女は、バットマンの敵であるジョーカーの精神科医だったのが、恋愛関係に陥ってしまった女性ですね。ハーレクインロマンスと共依存関係を重ね合わせて提示してくるような皮肉さが実に魅力的なキャラクターです。

飯田 pixivでも人気みたいだよね、ハーレイは。

藤田 好き勝手してますからねぇ。小悪魔というか。関わると、あとで、絶対に地獄を見るタイプですね。でも、映画だから、こっちは安全に楽しめるわけで(笑)
 ところで、自分達で原因作って、解決に苦労する話としては、『シン・ゴジラ』と似ているとことものあると思うんですよ。でも、日本でリアリティあるのは、震災と原発事故。アメリカでリアリティあるのは、テロと戦争。ハリウッド映画全般に、そういう背景の違いは確かにあるのかもしれませんね。

くるくるぱーしか出てこない!?


飯田 いやそもそも博士が巨災対にいるようなもんだから、こっちは。そんでむしろチェルノブイリみたいに死刑囚に決死隊つくって突っ込ませるって話でしょ。
 炎使うディアブロが妻子殺しちゃった理由もバカすぎてよくわかんないし、アマンダもアホだし、スクワッドの連中は逃げるチャンスあるときに逃げないし、くるくるぱーばっかりだなと。

藤田 ディアブロが妻子殺しちゃったのは、普通に夫婦喧嘩の範疇でしょう。怒ると、炎が勝手に出ちゃうんですよ。持ちたいと思ってないのに大きな力を持っていると、普通の人だと大事故にならないところで、大惨事が起きてしまう。そういう哀しさと自制心の苦痛を体現したキャラクターではないのでしょうか。
 部隊を結成するアマンダに関しては、ソシオパスをモデルにキャラクター造型したと監督がインタビューで答えていましたね。罪悪感がないから、容赦のないことをできる、政府側の人間を、必要なら感情なく殺害できる。そこがいいなと思いました。
 そういう人を、国家のセキュリティのために必要としているという状況そのものが、自殺的にヤバイなって。

飯田 「ソシオパス(サイコパス)のIQを取ると実は一般人とさほど変わらない」という研究もあるみたいですが(「いや、やっぱ高い」という調査もあってどっちかわからないけど)、頭の悪いサイコパスですね、アマンダは。
 スクワッドの連中がバットとかブーメランで戦えると思っているのがすごいよね。おまえら『バットマンvs.スーパーマン』観てみろよ、そんな次元の戦いじゃないはずだぞ、この世界観。と思いました。てっきりハーレイは木のバットでボールを打ち返し、折れたバットの破片を飛ばして攻撃するジャコビニ流星打法で攻撃すると思っていたのに!  そして最後はジョーカーとなぜかアフリカに旅立つという『アストロ球団』エンドを期待していたのに!

藤田 ハーレイのバットと、ブーメランのやつの意味のなさは、ちょっと気になりましたが…… アヴェンジャーズだって、弓矢のやついましたからねぇ。

飯田 DCにもグリーンアローがいるけどね。Netflixでシーズン3まで観たよドラマの『ARROW』。なんで弓矢で銃より速く攻撃できるのかと思うよね、普通に。『ARROW』のアローはイケメンでモテまくりで大企業のCEOで夜は必殺仕事人みたいなことをして街を救うという俺TUEEE作品で、映画『スーサイド・スクワッド』よりはるかにわかりやすいエンタメだった。さいとう・たかを先生にマンガ化してもらいたい。

藤田 『スーサイド・スクワッド』でもっと気になったのは、ラスボス的なメタヒューマン相手に、人間の作った爆弾が意外と効いちゃうところなんですがw あれだったら、あの部隊結成する必要ないじゃんとは思った。本当に「必要なかった」って話なんだとしたら、すごい。

飯田 名もなき普通の人間の部隊(海兵隊?)が大活躍して解決に貢献しちゃってたからね。え、こいつらのおかげっすか!? という。
フィリピンの大統領のほうがこの映画よりもよっぽどスーサイド・スクワッド感あるよ。麻薬撲滅のために法律無視して、警察や軍隊使うだけじゃなくてどうも暗殺者も雇ったりまでして売人とかぶっ殺しまくっていると。

藤田 その結果として、大統領自身が殺されかける事態に陥っちゃった、って話ですよね、この映画に即して言えば。

飯田 フィリピンの大統領は隠蔽する気すらないw オバマにくさされたらテレビで放映できないレベルの悪口言ってオバマが怒るという……。
 フィリピンでは公然と「麻薬常習者や売人は非合法にぶっ殺すからな」と大統領が宣言しているのに国民に支持されているわけだから、アマンダもあんなこそこそやんなくてよかったんだよ。映画『スーサイド・スクワッド』はお行儀がよすぎましたね。もっとめちゃくちゃやってほしかった。

藤田 アマンダは、あの部隊の結成を会議で説得するときに、誰も責任を取らなくていい、ということを強調していましたね。

飯田 まさにそうなっていたけどw

藤田 政府も腐っているが故に、悪人が生まれることも止むを得ないように感じる、ってのが、ゴッサムシティという街の特性かなって思っているので、その救いのない感じと、全体の無意味で理不尽な惨劇の感じの悲劇性(本当は悲劇なんだけど、全体のトーンは喜劇っぽくしている)は、グッと来ましたけどねぇ。
 こんな世界に生まれちゃったら、悪人にでもなって、刹那的な快楽に生きるしかないよな……っていう感じにさせてくれるのが、あの世界観の魅力だというか。
 本当に徹底して、何の意味もない事件というか、自業自得以上の何でもない、自作自演の危機。それを悲劇ではないように、スカッと描いちゃったってのは、なんか気持ちいいところありますよ。

飯田 そういうテーマなら同じデヴィッド・エアー監督の『サボタージュ』のほうが僕は好きでしたけどね。おとり捜査する連中がみんなイカレまくってて犯罪も厭わない、その連中が隠されたカネをめぐって身内で殺し合うことになるけど、誤解にまみれたものだった、と。エアーは『フューリー』も『エンド・オブ・ウォッチ』も『サボタージュ』も好きだったのに、今回はどうも……。
 最近のアメコミヒーロー映画(とくにDC)は肌に合わないのかもしれない。どれを観ても正直よくわからないや。勉強します!

藤田 ぼくは好きですよ。『B vs S』もこれも、なんでみんな文句言ってるのか分からない。いやーな世界を笑い飛ばせるようになる、いい薬のような映画だと思うんですけどね。