ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回は『コンビニ人間』について語り合います。

売れる純文学の登場!


藤田 村田沙耶香さんの『コンビニ人間』は、2016年に芥川賞を受賞し、発行部数が30万部位を超えていると報道されている話題作です。今回は、この本の中身や、外側の話をしてみる回です。
 外側の話をしますが、山手線の広告やツイッターのプロモーションにも出てくるという、売り方の違いを感じます。「売れない」の代名詞だった純文学が、又吉直樹さんの『火花』や中村文則さんの『教団X』などのように、数百万、数十万部の単位で売れるようになってきたことは、なかなか面白い状況です。

飯田 普通におもしろく読めるし、笑えるし、こういうのがマスコミで取り上げられる芥川賞を取るとちゃんと売れる。
 知り合いの文春の編集者(純文学ではない)が「『abさんご』みたいなわけわかんないのが芥川賞取っちゃうと、それで純文学から離れちゃう年輩の読者が多いんですよ。村田さんみたいな実力もあってちゃんと読めておもしろい作家が取るとありがたい」みたいなことを言ってました。商売で考えたらそうだろうね。

藤田 まぁ、売れることと、内容の芸術性の高さとは、違う価値軸なのではありますが…… ちょっとその問題は複雑なので、ここでは置いておいて。
 作者の村田沙耶香さんは、2013年に『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞をとり、そのあとの『殺人出産』や『消滅世界』で、性や生殖をテーマにしたSF的な作品を発表しています。これらを拝読していて、実に充実した時期を迎えているなぁと思っていたので、『コンビニ人間』の受賞は当然という感じがしました。今一番注目すべき女性作家の一人であると思います。
 内容面の話をすれば、『殺人出産』は、10産めば、一人合法的に殺せるという設定の近未来。『消滅世界』は、性行為がほぼなくなって、夫婦でもしなくなって、子どもは人工的に作るという近未来を舞台。そういう極端な設定を用いて、性や生殖の価値観を問い返す作家性でした。『コンビニ人間』も、その延長線上にあります。

飯田 本人も現役コンビバイトだとか淫語を平気でしゃべるとか、キャラ立ってますしね。「作家は異常者じゃなきゃいけない」と思っているマスコミ・一般人の期待にも応えてくれると。

藤田 村田さんのキャラは、「作っている」のやら「素」なのやら、ぼくには判断つきません。日本の純文学作家は、昔から「キャラ」への期待にこたえようとして演技する伝統があるので、そこはちょっと差し引いて考えようかなと思っています。芥川賞というのが、マスメディアを用いて「文学」「作家」を売り込むシステムであるし、そのようなマスメディアの中で「芸能人」的に作家が消費される状況には、色々と文句もあるんですが、まぁそれも置いておきましょう。

性と愛の現在のかたち


藤田 もう少し、内容面の話を続けます。
 主人公の女性が高齢処女の、コンビニバイトですね。そして、「男と暮らしている」と言うと皆が喜ぶから、ホームレス同然のダメ人間を家で飼う。しかし、一切の情愛が芽生えない、そこが面白い。
 「性」の感覚が、現代的な風に感じさせるリアリティを持っているというかな。この飼われてるダメ男も憎たらしい。こういう台詞を言う。
「外に出たら、僕の人生はまた強姦される(引用者註、「強姦」は比喩)。男なら働け、結婚しろ、結婚をしたならもっと稼げ、子供を作れ。ムラの奴隷だ。一生働くように世界から命令されている。僕の精巣すら、ムラのものなんだ。セックスの経験がないだけで、精子の無駄遣いをしているように扱われる」「あんたの子宮だってね、ムラのものなんですよ。使い物にならないから見向きもされないだけだ」
 それで、主人公は、「恋愛」「結婚」「出産」を女性に当たり前に求める「世間」とは違う世界に向かって、「生まれ直す」わけですね。それが「コンビニ人間」です。該当箇所を引用します。
「私はふと、さっき出てきたコンビニの窓ガラスに映る自分の姿を眺めた。この手も足も、コンビニのために存在していると思うと、ガラスの中の自分が、初めて、意味のある生き物に思えた」「私は生まれたばかりの甥っ子と出会った病院のガラスを思い出していた。ガラスの向こうから、私とよく似た明るい声が響くのが聞こえる。私の細胞全てが、ガラスの向こうで響く音楽に呼応して、皮膚の中で蠢いているのをはっきりと感じていた」

飯田 まじめに読むことももちろんできますけど「こいつらマジキチすぎて草」という読み方を大半の人はしているのでは。
 男のほうが「狩猟民族がどうの」って言っていて村上龍の『愛と幻想のファシズム』のパロディみたいでおもしろかった。実行力はない、ただの妄想。

藤田 選評でも「笑える」と言われていますけど、確かに笑えますよね。喧嘩している男子を止めてと言われて、スコップでぶん殴って止めちゃって、周りが引いていても何が理由かわからない。

飯田 アスペっぽいというか頭の悪いサイコパスというか……。

藤田 端的に言って、侮蔑用語として使うのではない、正確な意味での「アスペルガー」的な人ですよね。空気や情緒、他者の内面の理解が弱い。そして、文字通りに言葉を受け取り、合理的に判断してしまう、昔のロボットみたいな女性。その女性が、世間に合わせて「擬態」する努力の滑稽さと、降りてしまう清々しさがあると思います。

現代の若者の性のリアリティって、こんな感じなの……か?


藤田 彼女にしてみたら、システム化されて、情緒的な付き合いのいらない「コンビニ」の部品になることが、心地よい。非正規雇用とか「疎外」とか、そういう暗い方面で語られがちなものを、輝かしいものとして描いている。その代わり、彼女は「世間」を捨てる。情緒や愛情や家庭などに象徴される、一般的な人間の基盤となっている価値観を、捨ててしまう。
 これが共感を呼びやすい社会だってのは、ぼくはなんとなく分かる気がします。結婚率や恋人がいる率、性行為をしたいと思うかどうかなど、若者が総じてそれらへの興味を失っているという報道がありますが…… そういう背景にはこういう内面や感覚があるのか、って、読むことで納得させてくれるような感じがするんですよね。

飯田 「小説家になろう」で人気の作品に『私、能力は平均値でって言ったよね!』っていうのがあるんですけど、それを思い出しましたね。
『私、能力は〜』はいわゆる異世界転生ものなんだけど、とにかく平穏で普通な生活を送りたいと主人公は思っていて、でも特殊能力があって特別扱いされていてだけど本人は天然なのでそれになかなか気づかなかったりするという。

藤田 ハルヒみたいですね。

飯田 「普通」「常識」を過剰に求められる(あるいは、それに過剰に適応しようとしてしまう)日本社会の窮屈さとそこからナチュラルにはみ出てしまう人間のおかしみみたいなのが共通してるなあと。
『コンビニ人間』にも『私、能力は〜』にも「はみ出ていていい」「他の人とは違っていて当たり前」という価値観がない。

藤田 「個性化教育」とか「自分探し」とかの時代は、人と違う風になるべく努力したもんですけどねぇ……
 少し、大きな文脈の話にしますが、最近、アスペ型、サイコパス型の人間の齟齬を、笑いとして描くようになる流れがありますね。最近、お笑いの世界でも、そういう芸をいくらか見かけます。

飯田 両作ともに主人公は「普通」「平均」「平穏」(に見られること)を望んでいて、普通の意味での「身の危険」を案ずるとかよりもむしろ「叩かれる」とか「白い目で見られる」っていう社会的な摩擦が生じない人生を求める度合いの方が強い。まあ、と同時に、そいつらが普通じゃないところを発揮しまくる快楽も読者は得られるんだけども。
 人々の「SNS疲れ」とかを生んでいるものをおもしろおかしく描いている感じですかね。

藤田 対人関係、対社会的な関係を重視しているのは、同時代性を感じますね。アニメの学校モノとか「空気系」が流行するのと同じ時代精神の中にいるのでしょうか。
「他人と違ってもいい」というのは、ぼくもそうだと思うのですが、しかし現実にはその残酷さが一番出てくるのって、恋人とか伴侶を探すときだと思うんですよ。Twitterを見ていると、非モテの人の怨嗟の声を毎日見かけますが、発達障害持ちをカミングアウトしていたりして、色々と思うところがあります。
「他人と自分が違う」ことを是とするにしても、結婚生活なり共同生活を営む上で、限界はあるわけですよ。そこは綺麗事じゃない。そこに「個性化」を是とする場合の矛盾が結晶化している。……それを踏まえたうえで、『コンビニ人間』が切り拓いた地平って、恋愛の衝動も、性行為の欲望も持っていない個体を描いたところなんじゃないでしょうかね。つまり、他者をアイデンティティに必要としない個体。
 コンビニに象徴される、情緒のない、個に踏み込まない関係性で徹底して、それで良い、恋愛も性行為もいらない、そういう状態を描いている。個性を重視すれば、必然的にそうなることは止むを得ない、っていう、ことを受け入れちゃってるんですよ。上野千鶴子さんで言えば『おひとりさまの老後』みたいな世界観を、アップデートした感じでしょうか。

飯田 コンビニの過剰に明るい蛍光灯に四六時中さらされているとホルモンバランスが崩れて性欲も壊れるんだと思いますよ。

男を飼っても愛情は芽生えない


飯田 しかし、女の主人公が「男といっしょに住んでる」って言えばまわりは安心するから風呂場で飼ってる……って叙述トリックみたいなもんだよね。あれでミステリ書ける作家もいると思う。

藤田 あの男を飼っているのを妹が見た時のリアクションがいいですよねw あの配置が非常に効果的です。
 今までのフィクションだと、人間を「飼う」と、なんだかんだで愛情が芽生えたり性行為が生じたりするわけですよね。『完全なる飼育』なんか典型ですが。しかし、この作品は、それをしない、非人間性がある。そこがいい。

飯田 ゴミ捨て場からイケメンを拾ってきて恋愛しちゃう有川浩の『植物図鑑』と対比させるとおもしろいかもしれない。女の子を瓶に閉じ込めて飼う、夢野久作の「瓶詰め地獄」みたいなものだもんね、ある意味。
 しかもそういうものを書いた作家がコンビニで働いてるって報道されたらストーカーみたいにどこのコンビニなのかを探すやつが出てきてお休みすることに……っていうのが、作中と現実が地続き感があってやばい。

藤田 あんな風にエロい内容を堂々と書く(「精液が食べたい」と言って食べるシーンが『消滅世界』にはある)し、「ヒトは科学的な交尾によって繁殖する唯一の動物である。/戦時中、男性が戦地に赴き、子供が極端に減った危機的状況に陥ったのをきっかけに、人工授精の研究が飛躍的に進化した」「アニメーションや漫画、本の中のキャラクターに対して恋愛状態になる場合もあれば、ヒトに対して恋愛状態になる場合もあるが、根本的には同じである」(『消滅世界』)ということも書いているので、勝手に理解してくれそうな幻想を抱いちゃう人が出るのも分かるかな。

飯田 世間のレールから外れた人間は「窮屈で抑圧されている」と一方では言いつつ、実際には野放しだと。というかそういう他人の視線を感じないやつは最強(最凶)ですからね。

藤田 ストーカーやるやつは、全然分かっていない。そういう「他者」への欲望がない状態を肯定しているんだから。むしろ、ストーカーの対極を描いている。

押井守監督での実写化を希望!


飯田 押井守に実写化してほしいですね。合うと思う。『ビューティフルドリーマー』とか『立喰師列伝』を観ているかぎりでは。

藤田 『イノセンス』のコンビニ(?)のシーンも良かったですからね。ああいうイメージで行けそうですね。人工的な女性を描くのも上手いですからね、『ガルム・ウォーズ』の技術を転用して……

飯田 いっそ球体関節人形で実写化すれば……。

藤田 まぁ、笑える小説で、サクサク読めて、同時代の深刻な主題への思索も誘うという、非常に良くできた小説であると思います。この主題系の展開は、これからも楽しみです。

飯田 ぶっ壊れまくってるおかしい人でもコンビニでは働ける(かもしれない)という夢と希望が描かれていると思います。

藤田 ……実際のコンビニって、業務多そうで、複雑そうで、実に大変に見えるんですけどねぇ。この主人公には、適した場所だということですね。ぼくは個人的にはコンビニ店員さんは尊敬していますがw 絶対にぼくより能力が高いよw