第一次世界大戦における最大の会戦である「ソンムの戦い」は、イギリスの歴史でも最も被害が多く、同時に成果の乏しいものでした。

塹壕(ざんごう)の中で、大勢の兵士がいつ終わるともしれない攻撃命令を待つだけの過酷な生活を強いられました。

7月1日は100周年記念で、ロンドンのウォータールー駅では普段と違う光景が見られました。

 

London Waterloo station this morning


100年前にタイムスリップでもしたかのような光景。

戦いで命を落とした兵士たちを忍び、有志が集まって再現したとのことです。


第一次世界大戦は塹壕戦となり、全長はなんとスイス国境からイギリス海峡まで続きました。幅1〜2m、深さ3mほどで、2490kmほどだと見積もられています。

「1916年7月1日から同11月19日までフランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開された。連合国側のイギリス軍・フランス軍が同盟国側のドイツ軍に対する大攻勢として開始し、最終的に両軍合わせて100万人以上の損害を出したが、連合国軍はわずかな土地を獲得したにとどまり、ドイツ側は被害を最少におさえた」
(ソンムの戦い - Wikipedia)

[画像を見る]
ちなみに普段のウォータールー駅はこんな感じになります。

海外掲示板のコメントをご紹介します。

●ソンムの戦いの100周年だ。イギリスの歴史の中でも最悪の日だよ。

↑初日に6万人の死傷者が出たんだ。カナダ兵700人もいたが、翌日の点呼では68名しかいなかった。第一次世界大戦は西部戦線において塹壕戦をしたことで知られているが、それまでの歴史にはなかった戦い方をしたことでも知られている。
ドイツ軍は溝に隠れていたので、イギリス軍の連続砲撃では満足な成果を得られなかった。多くの不発弾もあり、中には正しいヒューズのないものもあった。砲撃が止むと上を進むように命令され、それをドイツ軍がなぎ倒して行った。

↑カナダ兵700名はニューファンドランドからの出兵で、そこは1949年までカナダに属していなかった。別の統治権力だった。7月1日はニューファンドランドにとってもメモリアル・デーである。

●この戦争は100年前に起きたんだね。

↑知らない人のために言うがドイツは負けたんだ。

↑そのドイツが復活して立ち上がってきたことに発奮する。

●ソンムの戦いは想像を絶していて、たった5か月足らずに100万近い人が死んでいる。

●イギリス全土の各都市で行われているよ。自分はいつもこのグラスゴーにある刻板に感銘を受ける。
[画像を見る]
「このプラットホームで、2つの世界大戦のときに何百、何千もの兵士と女性がさよならを言い合った。中には最後のさよならもあった」

↑仕事中なのに泣いてしまった。

●彼らは決して歳をとらず、残された我らは年老いる。年月が彼らを疲弊させることもなく、非難することもない。暮れても明けても、彼らを忘れることはないだろう。

●わお! そこにいる男性たちの何人の高祖父(祖父母の祖父)がその戦争で戦っていたのかと思いを馳せるよ。

↑うちは祖父だ。父は第二次世界大戦のときにアフリカとイタリアにいた。

↑29歳だけど、祖父が第一次世界大戦で戦ったよ。

●今日、サウサンプトンで電車を降りた。駅を出るときに気づいたが、大勢が完璧な第一次世界大戦の軍服を着ていて、まるで電車を待っているかのように沈黙して立っていた。感銘を受けた。
反対方向からやってきた友人から聞いたが、彼らは全員沈黙のまま電車に乗り、不気味な感じだったそうだ。ひとりが友人の隣に座ったので、友人は「それは完璧なレプリカなんだね」と話しかけると、軍服を来た男は胸ポケットからカードを出し、そこには「下級伍長エリック・スミス、1916年7月1日に没す」と書いてあったそうだ。
誰が計画したか知らないが敬意を払うよ。

↑それを読んだら、自分なら体が冷たくなる。

●自分も横を通り過ぎたが、彼らはまっすぐ立って改札口でじっと通り過ぎるのを見ているんだ。とても不気味でパワフルだった。

●その写真が100年前のものではないと確認したほどだ。


当時を風化させないイベントとして、とても力強いものだったようです。

塹壕にいたとあるイギリス兵の手記:
「泥、泥、泥……。僕は毎日泥の塹壕の中にいます……。塹壕は思っていたのとは全く違うところです。最悪の敵は雨。何日も、何週間も、濡れた粘土の上にうずくまり、敵の砲弾の中で過ごすのはどんなものか想像もつかないでしょう。厚いブーツを履いていますが、冷たい泥で足は氷の塊のようです。何本かの指は動かなくなりました……」

(塹壕 - Wikipedia)

【「今朝、ロンドンのウォータールー駅はタイムスリップしていた…」歴史の重みを感じる写真】を全て見る