中国メディア・騰訊は5月31日、「一村一品運動」のお膝元である大分県日田市大山町の取材記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 1979年に大分県知事だった平松守彦氏によって提唱された「一村一品運動」。その影響は日本のみならず、世界の多くの国にも及んでいる。中国でも80年代にその精神が伝わり、各地で「一村一品」やこれに類した取り組みが進んだ。中国メディア・騰訊は5月31日、「一村一品運動」のお膝元である大分県日田市大山町の取材記事を掲載した。

 記事は、大山町が「一村一品」の元祖として日本や世界にその名を轟かせていると紹介。人口2900人、1人当たりの土地1200平方メートルで、丘陵地帯が多く耕地面積が少ない事から高度経済成長に置いていかれた貧困地域だったが、貧困脱出に向けて若者たちが意欲的に外地への視察を重ね、従来の稲作から脱却して収益性の高い作物へシフトする試みが行われたと説明した。

 そして、1961年より従来の農耕方式やそれに基づく生活環境を排除、「梅栗植えてハワイに行こう」をスローガンに、各家庭に対して梅や栗の栽培を奨励、作物自体に加えて梅干しなどの加工品を生産することで高い収益をあげて貧困を脱出、68年には村民20-30人がハワイを訪れ、当初の夢を実現したと伝えた。

 その後も栽培+加工+流通といういわゆる「6次産業」の取り組みを続けて収益を伸ばし、今では900戸の世帯の年間平均収入額が350万円と、全国の農民世帯平均収入を大きく上回っているとしている。

 記事は平松知事が1961年に「一村一品運動」を提唱し、これが大山町の考えとマッチした、と説明している。しかし実際は、大山町の取り組みが、後に提唱される「一村一品運動」のベースとなったのだ。このようにいささか認識のズレがあるものの、記事は大山町の経験が、なおも中国における「村おこし」の大きなヒントになるという姿勢から紹介していることが伺える。

 中国では近年、伝統薬(中薬)に用いられる生薬の原料となる作物を大規模栽培する動きが各地で見られる。その背景には生薬の価格上昇があり、栽培環境や品質の管理を強化することでより価値の高い作物を生産し、農民の収入増につなげることが狙いの1つだ。「ここの村ではこの生薬原料」といった、各地域で1つの作物に集中したブランド化も進められており、ここでも「一村一品運動」の影響が垣間見えるのである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)