朝鮮戦争の休戦後、故金日成主席は次のように教示した。

「我が国は電力が豊富なので必ず電気鉄道を敷設しなければなりません」

当時の北朝鮮は、世界最大級と言われた水豊ダムを擁し、石炭などの燃料も豊富だったこともあり、鉄道の電化工事が経済発展に結びつくと考えられたのだ。その結果、北朝鮮の鉄道の電化率は80%に達する。

しかし、90年代からは発電施設の老朽化、燃料不足、そして深刻な経済難により極度の電力不足に陥る。そして、高い電化率がアダになり、鉄道がマヒ状態に陥る。

度重なる停電で、列車はなかなか進まない。東京・岡山に相当する距離を移動するのにかかる日数は実に10日。そして、ついには列車内で死者が出る事態となった。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋が米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)に語ったところによると、列車内で亡くなったのは7年間の兵役を終えて、故郷に向かっていた女性だった。

「平安南道(ピョンアンナムド)の順川(スンチョン)から、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の清津(チョンジン)に向かう列車にこの女性は乗った。ところが、時刻表通りなら1日もあれば着くはずの列車が、停電で10日以上かかったため、寒さと飢えに耐えかねて死んでしまった」

情報筋によると、彼女は、部隊から除隊記念に手渡されたコメ20キロを大事に抱えていた。普通なら市場で売り払って旅費の足しにするところを、7年ぶりに会う両親を喜ばせたくて、空腹を我慢して持って帰ろうとしていたという。

列車で同席だった乗客は、彼女の様子を次のように語った。

「彼女は、一緒に食事をしようと誘っても断った。周りの乗客が、ごはんを食べ始めると席を外すこともあった。死亡する数日前からずっと横たわっているので、寝ているものだとばかり思っていたが、清津駅に着いても動こうとしないので、起こしてみたところ死んでいた」

咸鏡北道の別の情報筋によると、この話はあっという間に清津市内に広がり、街全体が彼女を悼む雰囲気となっている。彼女が両親のためにコメに手を付けずに死んでしまったことで、列車がまともに運行されないことに対する恨みの声が上がっているという。

また、白頭山英雄青年発電所が完成しても電力事情や列車運行は全く改善せず、むしろ発電所の工事や水害で大きな被害を受けた羅先(ラソン)市の復旧工事の資材運搬を優先したため、一般列車の運行にさらなる支障が出ていると不満が高まっている。