近藤 誠氏

写真拡大

痛くも苦しくもないのに、人間ドックや健康診断でがんが見つかると、転移する前に早く切らねばという恐怖心からすぐに治療を開始する人が多い。しかし、本当にそうなのだろうか。近藤先生は、放置してもがんが転移せず、大きくもならない人が多数いることに注目し、「がんの放置治療」をすすめている。

私は慶応大学病院の外来で、23年以上にわたり「がん治療」をしない患者さんを診てきた。その人数は150人以上に及ぶ。電話で「早期の膵がんで余命3カ月と言われました」と緊迫した声で訴える人もいて、余命についての問い合わせは多い。しかし私のところへ初診で歩いてみえ、3カ月どころか1年以内に逝かれたケースはない。がんであっても、今ふつうに歩くことができ無症状であれば、人は半年や1年では死なないものだ。

ところが世間には「がんは放っておくとみるみる大きくなって全身に転移して、ひどい痛みに苦しみながら、死に至る」というイメージができあがっている。このため、医者から「がん」と言われると「転移する前に早く切らねば」とあせり、「命が延びるならば、手術も抗がん剤治療も何でもやります」と治療へ駆り立てられ、自分の命を医者に預けてしまう。

人気のあった司会者の逸見政孝氏が、初回手術から10カ月、再手術から3カ月で亡くなったことで知られるスキルス胃がんは、悪性度が高く進行が早いとされ、見つかると同時に「余命数カ月」と宣告される患者も多いという。しかし、「治療しない」と決めた私の患者には、診断から数カ月で亡くなった人は皆無。逆にこれまで通りに仕事や好きなことを続けて、3年から9年も生きた方は何人もいる。

元気な人が、あっという間に変わり果てた姿で逝くのは、がんの治療のせいといえるだろう。逸見さんに限らない。肺がんの抗がん剤治療を始めて2カ月半で逝った芸能リポーターの梨本勝氏、先頃食道がんの手術から4カ月で亡くなった歌舞伎役者の中村勘三郎氏など、医者がすすめる「がんの治療」で余命を短くされた悲劇だと私は考えている。がんが恐ろしいのではなく、「がんの治療」が恐ろしいものなのだ。がんと宣告されても治療をしなければ、最期まで頭がはっきりしていて、痛みが出てもコントロールができる。全く痛まないがんも多い。

私はこの20年以上、「抗がん剤は効かない」「がんは切らずに治る」「健診は百害あって一利なし」「がんは原則放置しておいたほうがいい」と言いつづけてきた。

私の言う「がんを放置しておく」ことには、2つの意味がある。1つは発見がんを治療しないでそのままにしておくこと。もう1つは体の中にがんがあるかもしれないが、それをわざわざ探し出さないで放置しておくことである。後者は要するに、がん検診や健康診断、人間ドックなどを受けてがんを探さないこと。人間ドックなどで健康な人に見つかるがんは、痛いとか、苦しいといったがんによる症状がなかったものだ。そういうものを見つけるだけならいいが、見つけるとたいてい手術をしたり、抗がん剤治療をして、だいたい寿命が縮まる。あるいは、見つけて「がん」と宣告されただけで精神的にも相当なショックを受けるからだ。「がんの放置療法」をおおまかにわかってもらうために、まず私の診療方針を示しておくと、(1)がんが発見されたという1事では、早期がんでも転移がんでも治療を始めない。QOL(日常生活の質)を落としている症状がある場合に、治療開始を検討する。(2)症状がなくても、治療を希望する人は少なくない。その場合、合理性を失わない限りで治療する。(3)がんを放置して様子を見る場合、診察間隔はがんの進行度による。早期がんなら6カ月に1度、進行がんや転移がんなら3カ月に1度程度の間隔で診察を始め、徐々に間隔を延ばすようにする。(4)がんが増大するようなら、あるいは苦痛等の症状が出てきたら、その時点で治療をするかどうか、どういう治療にするかを相談する――というものになる。

それでは、なぜがんを放置しておくのか。それを理解するために、がんには「本物のがん」と、「がんもどき」があることを理解してほしい。これは放っておいても「無害ながん」と「有害ながん」に分けられると考えてもいい。検診で見つけるようなものはだいたい無害ながんで、放っておいていいものだ。今日ではいろいろな治療法があるので初発病巣のがんそのもので亡くなることはかなり珍しい。がんで命の消長に直結するのは、他臓器転移だ。

「がんもどき」というのは、病理検査で「がん」と診断されても、他臓器に転移していないため放っておいても死なないがんだ。これに対し「本物のがん」は、すでに転移が潜んでいるため、治療しても治らないがんだ。「本物」は、がん細胞が生じて間もなく転移するので、初発巣が発見できる大きさになったときには、転移巣は潜んでいても、相当の大きさに育っている。そのため初発巣を早期に発見しても転移巣を含め、がんを治すことはできない。

がんの転移する時期は放置患者の観察、分析から、「本物」は初発がん発見のはるか以前に転移していることがわかる。他方、がん発見当時に転移がない「もどき」は、放置しても初発巣から転移が生じないことが確認できた。この転移するがん、しないがんというのは、がん細胞が生まれたときに決まっている。早期発見というが、実はがんの一生からすると、熟年というか、すでに老境にさしかかっているものを発見している。というのもがん細胞は2分裂して、ねずみ算式に増えていく。この頃は1センチのがんが見つかったときに「早期がんです、おめでとう」というのが流行らしいが、がんにとっては早期ではない。がんが1センチの大きさになるまで、30回ねずみ算を繰り返している(図参照)。がん細胞の大きさは1ミリの100分の1の10ミクロン。これが1000倍の1センチくらいになると、がんのシコリとして認識できるようになる。消化管のがんだと内視鏡で見えるようになるし、肺のレントゲン検診でも写るようになる。その1センチのがんの中には10億個のがん細胞がある。

それではがんが1センチになるまでには何年かかるのか。それぞれの人のがんは、誕生してから一定の速度で分裂していると考えられている。だからその速度がわかれば、がんがいつ頃できたかがわかる。がんが1回分裂するのにかかる時間を、英語でダブリングタイム、日本語では倍増期間とか倍加期間というが、がんの直径が10倍になるには10ダブリングしたと考えることができる。こうした計算によって、その人のがんの一定期間の成長経過を見れば、がんの発生時期がわかる。その結果からも、本物のがんが早い段階から転移していることは明らかだ。

このことは理論的にも最近わかってきて、ノーベル賞に輝いた山中伸弥教授の研究成果であるiPS細胞が関わっている。iPS細胞は無限に増殖することができる正常な「幹細胞」で、自分自身が増える複製能力と、分裂して他の細胞に分化する能力を備えている。そのiPS細胞を実験室で作成するときに、よくがん細胞が生まれてしまう。山中教授は「再生能力とは、がんになるのと紙一重だと思う。高い再生能力を持っているということは同時に、がんがすごくできやすいということではないか?」と語っている。

がんにも「がん幹細胞」があることがわかっている。胃がんや食道がんなどの固形がんの病巣には、数十億から数百億のがん細胞が含まれているが、それらはすべて、たった1個の、このがん幹細胞から分化したものだ。他の臓器に転移したもとは1個のがん細胞で、がんはすべて、最初の1個のがん幹細胞の性質を受け継いでいる。そして、幹細胞が「転移する能力」を備えているものだけが、本物のがんである。がんは他の臓器に転移すると、大腸がんの肝転移のごく一部のような例外を除いて、治ることはない。逆に、臓器転移がなければ治る可能性が高い。本物のがんはすぐ転移を始めるので、がん幹細胞に転移する能力があれば転移するし、転移する能力がなければ転移しない。運命はがん幹細胞で決まるといっていいだろう。

それなのに、がん初発巣を放置している(もしくは過去の一時期放置していた)患者に臓器転移が出現してきた場合、放っておいたから転移した、と考えてしまうのが家族や世間というものだ。例えば、アップル社の創始者であるスティーブ・ジョブズ氏は、膵がん(の中でも進行が遅い特殊タイプ)で亡くなった。彼は2003年に膵がんが発見された後、手術を拒み、種々の療法を試したようだ。しかし9カ月後、検査で膵がんの増大が判明し、手術を受けた。その後、08年に肝転移が判明し、2011年に亡くなった。生前ジョブズ氏は、がんを放置したことを悔いていたというが、天才的なジョブズ氏でも見落としたことがある。肝転移のような臓器転移は、初発巣が発見されるはるか以前に成立しているという事実だ。膵がんばかりでなく、胃がん、肺がん、前立腺がん等あらゆる固形がんで、初発巣が検査で発見可能な大ききになる前に、がん細胞が他の臓器に転移している。これまでの考え方は、「早期発見・早期治療」によって転移がない段階で見つければ、将来転移してくるのを防げるのではないかというものだったが、がんの成長過程から考えると無理があるといえる。

それは胃がん統計にも表れている。早期がんも転移し、命取りになるから、それを防ぐという名目で、胃がん検診が職場や地域で盛んに行われている。その結果を見てみれば、その無意味さがよくわかる。「早期発見・早期治療」が正しければ、日本人の胃がんの生存率に大きく寄与しているはずである。

日本人男性の胃がん統計(図参照)である。近年発見数が急増しているのは、高齢者にまで内視鏡検査をするようになった影響と考えられる。他方、胃がん死亡数は横ばい傾向にある(これらの傾向は女性も同じ)。

「早期発見理論」が正しいとすると、検診で発見される胃がん総数が増えれば、胃がん死亡数は減ってしかるべきだ。ところが死亡数は変わらない。とすれば、胃がんのうち近年増加した部分は「もどき」であるはずだ。

同様の統計は、胃がん以外でも見られる。欧米で、前立腺がんや乳がんの発見数が検診によって大幅に増加したのに、死亡数が減らないことが統計データによって示されており、その増加部分も「もどき」と考えられる。

また、アメリカで、ヘビースモーカーの男性9000人を集めて2群に分け、検診群に肺のレントゲン撮影等を定期的に行ったところ、放置群よりも検診群のほうが、160人対206人と肺がん発見数が多く、早期がんの割合も多かった。したがって検診群では、肺がん死亡数の減少が期待された。ところが実際には、肺がん死亡数が115人対122人と、検診群のほうが7人多い結果だった。

要するに検診をすると、発見される肺がんの数が増えるのに、死亡数は減らない。胃がんの統計と同じで、増えた部分は「もどき」と考えられる。

----------

近藤 誠(こんどう・まこと)
1948年生まれ。73年、慶應義塾大学医学部卒業。同年、同大学医学部放射線科入局。79〜80年、米国へ留学。83年より同大学医学部放射線科講師。がんの放射線治療を専門とし、乳房温存療法のパイオニアとして知られる。患者本位の治療を実現するために、医療の情報公開を積極的にすすめる。著書に『患者よ、がんと闘うな』『抗がん剤は効かない』『がん放置療法のすすめ』『再発・転移の話をしよう』『医者に殺されない47の心得』『「余命3カ月」のウソ』など。2012年菊池寛賞受賞。

----------

(吉田茂人=構成 鶴田孝介=撮影)