井岡一翔 3階級制覇前哨戦

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 2014年5月、IBF世界フライ級王者アムナット・ルエンロン戦で、判定の末に敗北した井岡一翔。彼にとって、プロ転向後、15戦目にして初の敗戦であり、ミニマム級、ライトフライ級と王座に君臨してきたボクサーによる無敗での3階級制覇の野望が見送られた瞬間だった。

 だが、これは一翔にとって初めての敗戦ではない。プロ転向以前、彼は敗北の辛酸をなめ尽くしてきた。

 元フェザー級ボクサーである井岡一法を父に持ち、叔父は世界2階級を制した井岡弘樹。彼らからトレーニングを受けた一翔は、しばしば「サラブレッド」ともてはやされている。

 しかし、アマチュア時代の彼は負けの連続だった。中学時代にボクシングを始めた一翔。当初から、彼の目標は「世界チャンピオン」ただひとつだった。しかし、高校1年生で出場したインターハイ予選、一翔はまさかの敗北を喫する。まだ全国大会ですらない、近畿大会での出来事だ。

「負けて泣くな! 泣くんやったら勝って男泣きしろ! 世界チャンピオンになるって言ったんちゃうんか!」(『今をブレない。』講談社)

 父は一翔の涙に激怒し、ボクシングを辞めさせようとした。しかし、一翔はその叱咤に再び立ち上がると、史上3人目の高校6冠を達成。そして、ボクシングの名門として知られる東京農業大学に進学する。住み慣れた大阪の地を離れ、北京オリンピックを目標に据えた厳しい練習を行っていく。

 だが、オリンピック日本代表選考会を兼ねた全日本アマチュアボクシング選手権大会決勝、一翔は1ポイント差で判定負けを喫し、オリンピック出場の夢は閉ざされた。金メダルを獲得し、鳴り物入りでプロデビューを飾るという夢が散った瞬間だった。そして、翌年の同大会でも判定負けの準優勝に終わった一翔は、大学を中退してプロに転向することを決意する。これ以上、大学に在籍していることは、大学生活に甘えているだけなのではないかと感じたのだ。だが、それはチームメイトたちへの裏切りを意味することとなる。

「僕は部員全員に憎まれてもしょうがないと覚悟していた」(同)

 こうして、一翔は、挫折の末にプロへとたどり着いたのだった。

 そして、プロに転向すると、一翔の快進撃は続いた。09年1月にプロテストに合格すると、4月にプロデビュー。3戦目には世界ランカーを打ち倒し、6戦目には日本ライトフライ級王座を獲得、7戦目には夢だったWBC世界ミニマム級王者を獲得する。しかし、その喜びは一瞬のうちに消えてしまった。

「ひとしきり喜びを噛みしめたあとはもう、自分が世界チャンピオンになれたことよりも、やっとスタートラインに立てたという意識のほうが強かった」(同)

 夢だった世界チャンピオンになった瞬間、夢は通過点に変わった。さらに3回の防衛に成功し、ライトフライ級に転向。ここでもチャンピオンに輝いた一翔は3回の防衛戦を勝ち抜き、さらに上のフライ級へと転向する。そして、14年5月、アムナット・ルエンロンに破れ、タイトル獲得に失敗したのだ。

 一翔の原点となっているのは、アマチュア時代に経験した105戦だ。ボクシングの世界では、プロに比較しても遜色ないほど、アマチュアのレベルは高い。プロよりもラウンド数が少ないため、試合序盤から相手の様子をうかがう余裕はなく、トップギアで打ちながら、相手の弱点を見抜いていかなければならない。そんな経験を実践で叩き込まれたことが、一翔がプロとして活躍できた一因だ。

 そして、一翔を支えるもう一つの大きな柱が、「井岡」という看板だ。父と叔父が背負ってきた看板を、一翔はいま、一身に背負っている。彼に課せられた使命は、その名に傷をつけず、さらにその看板を磨き上げること。現在、一翔が目標としている3階級制覇は、叔父でありジムの会長である弘樹がついに果たせなかった夢なのだ。

 プロとして初の敗戦から4カ月。9月16日には、後楽園ホールでコロンビアの世界ランカーとの再起戦を行う。プロとして初の敗北を喫した後だけに、この試合の成否が今後の一翔の方向を決めることになるだろう。井岡ジム会長である父は、これに勝利した後の大みそか、一翔を再び世界3階級制覇に挑戦させる意向を示している。