数々の女性アイドルを育て“生涯現役マネジャー”を自負していた『サンミュージックプロダクション』の相澤秀禎会長が、5月23日にすい臓がんで死去した。83歳。
 「21年ぶりに『“さんみゅ〜”という女性アイドルグループを売り出すんだ』と張り切っていたのに残念です。人柄が温厚で、業界の誰からも“相さん”と呼ばれ愛されたんですが、女性アイドルには恵まれませんでしたね」(大手プロ幹部)

 相澤会長は西郷輝彦のマネジャーを務めてスターに育て、その後、千葉県知事の森田健作をスカウトし、'68年に『サンミュージック』を設立した。
 「女性アイドルはデビュー前から自宅に下宿させ、家族同然に育てるのが方針。にもかかわらず、“親の心子知らず”のアイドルが実に多かった」(テレビ関係者)

 '86年に岡田有希子さんが事務所のビル屋上から飛び降り自殺。3年後には松田聖子が突然独立を宣言し、事務所を去った。
 「聖子から突然、早朝に自宅に来るように呼び出されて、いきなり“独立します”ですからね。『ショックというより開いた口が塞がらなかった』と相澤会長は話していました。聖子はデビュー当初から郷ひろみとの熱愛が噂されましたが、実際は男関係が派手で、マスコミにバレないよう相澤会長がガードしてきたのです」(マスコミ関係者)

 '92年には、桜田淳子が事務所の反対を押し切って、霊感商法が社会問題になった統一教会の“合同結婚式”に参加。相澤会長は断腸の思いで桜田を芸能界から追放した。
 「次々に女性アイドルに裏切られたこともあって、サンミュージックはお笑いにシフトしたんです。相澤会長は『うちはサンミュージックではなく、サンバラエティーだ』と苦笑いしていました」(夕刊紙記者)

 '09年には、酒井法子が覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、世間を震撼させた。
 「逮捕される半年前のことです。酒井がクスリをやっているという情報が寄せられたため、相澤会長は酒井に確認したんです。酒井はキッパリ否定したが、結局逮捕。裏切られた感は一番強かったのではないか」(前出・マスコミ関係者)

 さぞ無念だったに違いない。合掌!