野球をオリンピックから失ってからのこの4年間。

日本の野球の日常に何か変化があったのかと聞かれても特別何も思い浮かばない。

そもそも日本の野球、もとい野球の盛んな国における野球というものは国際戦と共に発展してきたわけじゃないですから。

80年以上ある日本のプロ野球の歴史において、プロの選手が五輪に参加するようになったのは最後の10年だけ。
しかもオリンピックというのは4年に一度の数試合程度のものでしょ。

日常の野球の延長線上でたまに存在するのが五輪のような国際大会であって、それがなくなったからといって日常に変化があるというわけじゃないわけでして。



だからこそ、話はややこしい。
要は野球に五輪が戻ってこれるかの鍵は日本やアメリカのような野球が盛んで発展している国が握っているはずなのに、そういった国であればあるほど野球が五輪に戻ってくる必要性はなかったりする。

今後も多くの日本の野球ファンは五輪がある度にふと野球競技のない寂しさを感じるくらいであって、それ以上のものはないでしょう。
それは決して悪いことなのではなく、むしろ五輪のような国際大会にすがらないと、日本の野球の存続が危うい!! みたいなことになってしまった時の方がヤバい。日本の野球的には。
五輪がなくなっても野球の日常に変化がないからこそ、五輪復活に対する渇望感みたいなものは決して大きなレベルでは存在しない。
まあそれこそ、日本の野球はまだまだ安泰であるということを示しているのですが・・。


ただ、日常が変わってしまった国も日本とは対照的に存在したりする。

特に東南アジアや中南米の野球後進国の場合だとその傾向は顕著になる。
国から五輪種目として支給されていたお金がなくなったりする。
経済力のない国にとって、経済的な負担が大きいとされる野球で、国からの支援が打ち切られるとそれは重大な影響を及ぼしそうだということは深く想像をしようとしなくてもなんとなく分かります。
五輪種目という大義名分を失って、野球をプレーする環境が減ってしまった国もあったりする

結局、多からず少なからず野球をしている国にとって、野球に五輪は必要だとは思っているはず。
ただ、その思いの強さに大きなギャップがあるのが問題なだけで。


五輪に対する思いのギャップを作っているものもう一つのものとして、WBCという大会があるのもデカい。

特に日本においてのWBCの盛り上がりを考えると、「五輪に野球がある必要」というものはより感じない人が多い。

でもたとえばとあるアジアの野球後進国で教える日本人の方の言葉を借りると「自分たちのような予選にすら参加させてもらえない国にとってはWBCは違う世界の存在。そんな世界の大会が五輪復帰に対する気運の高まりを妨げているのなら、WBCはむしろなくなってしまった方がいいのかもしれない・・。WBCが発展してもそれで五輪に野球があった頃のように国から援助を貰えるわけではないし、国における五輪の知名度には遠く及ばないでしょう・・」

というようなことをおっしゃっていたりする。

同じ野球の発展途上国でももヨーロッパだとWBCに参加している国も多いし、セミプロもある。国の経済力も違う。MLBからもたくさんの援助を受けていたりする。
ヨーロッパの五輪野球に対する考え方もまた、日本やアジアの後進国とは一味違うんですよね。

「五輪に野球は必要だけども、それに今後の自分たちの野球をすべてゆだねるような考えはそろそろ卒業しないといけないかもしれない。
五輪という野球界とは違う枠組みのものに依存するのは健全な状況ではないし、そもそもいつ復帰できるか分からないものに頼るわけにもいかない。
WBCのように五輪とは関係ない形でも発展を今後は探っていくべき」

と考えるところもある。



五輪に野球は必要だという認識はそれぞれ持ちながらも、どうして必要なのか、どのくらい必要なのか、というところでそれぞれにギャップがある。

まずはそこの足並みを野球界として揃える。
失ったものを取り戻すためには、まずそっから始めるべきなんじゃないかと僕は提案します。

偉そうなことを言わせてもらうならば、五輪における野球の議論って
似たよーな浅はかな論議を繰り返している印象。

ヨーロッパにおける普及度がどうとか、道具に野球はお金がかかるから・・とかそういったやつ。


もっと踏み込んだレベルで野球における五輪との向き合い方を考えるべきなんじゃないかと思います。
そういった議論のきっかけに、この文章がなってくれるのなら管理人としても嬉しいことこの上ないです。

オリンピックが開催されているこのタイミングをきっかけに、みなさんも五輪と野球について今一度考えてみては如何でしょう?