ブランドのバッグ、時計に1000万円超!−「元セレブ妻」の契約社員生活

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■150万のバッグを「じゃあ、頂くわ」

エルメス、ルイ・ヴィトン、グッチ、シャネル……。杉山香織さん(仮名、35歳)が、クローゼットを開くとブランドの紙袋が雪崩落ちてきた。

でも中身はない。クレジットカードの支払いに困ったとき、すべて中古屋に売り払ったのだ。老舗デパートで総額500万円ほどで買いあさったブランドバッグは、ろくに使わず新品同様だった。

「エルメスとヴィトンは、正価の半額で引き取ってもらえる」。妙な勉強になった。

出版社勤務だった香織さんと広告代理店勤務だった夫(40歳)が、ウェブ制作会社を立ち上げたのが6年前。出産を機に、香織さんは仕事の一線から退いたが、家計と経理はしっかりと握っていた。2004年から06年の年収は約3000万円。

「珍しいエルメスの黒カーフのバーキンを、奥様のためにキープしておきました」

高級チョコレートと香り高いお茶を前に、老舗デパートの特別室で外商担当者にささやかれると、嫌とは言えない。それが「外商マジック」だ。

「そうね、これは珍しいわねぇ……じゃあ、頂くわ」

魔法にかかったように、キラキラ光る1割引きの外商カードを出してしまう。価格は150万円。銀行口座には毎月300万、400万円が振り込まれるから、これぐらいちっとも怖くない……。友達の医師夫人に紹介された外商の世界を知った香織さんは、「デパートの売り場なんて庶民のためのショーケースなんだわ」と思った。

ブランドバッグを総額500万円、時計も夫と自分の分を3個で500万円、さらに夫の鞄やスーツで200万円。

「特別なお取り置き」を言われるままに買うことがセレブなんだと思っていた。

毎週末のようにベンツに乗り高級旅館に宿泊。高級フレンチや寿司屋に通い詰め、夫婦2人で数万円が当たり前。その間子供は高いベビーシッターに預けていた。高級外資系ホテルに家族で泊まり、シッターも呼んで子供を任せ、自分はエステを受けて一晩で20万払ったことも。友人とご飯を食べると「私が払う」とカードを出してしまう。

当然、考え方も変わった。

「××ちゃんとは遊んじゃ駄目よ」と子供の友達を選んだ。つきあうのは医師や弁護士など「上流」の子供だけ。

あるとき、地元の幼馴染みが出産祝いに5000円くらいの食器セットをくれた。香織さんは「あんなお金のない人がこんな高いものを……」と心から申し訳なく思い、3万円の商品券をお祝い返しに贈った。それきり、その友達は連絡してこなくなった。

■ライブドアショックで取引先が連鎖倒産

様子がおかしくなったのは2006年の「ライブドアショック」からだ。投資家の資金でIPO目前と息巻いていた取引先企業がどんどん倒産し、未回収金が増えていった。夫の会社の年商はついに半分になってしまった。

それでも香織さんは買い物をやめられなかった。気分転換にと思って、うっかりデパートに行くと、また外商の甘言にのってカードで買ってしまう。「没落した」と知られたくなくて必死だった。

そしてある日、貯金がついに底をつき、80万円のカードの請求が払えなくなった。やっと香織さんはセレブ生活の幕が下りたことを悟った。

ベンツを売り払い、ヴィッツを買った。天井が高いセレブマンションから46平米の部屋に引っ越すことにした。夫の会社が回らないので、自分は契約社員として別の会社に勤めはじめた。

子供は保育園に預け、10時から16時半までという勤務時間を死守しながら働いた。疲れてもタクシーには乗れない。毎週通っていた高級マッサージにも行けない。値段も気にせず買っていた高級子供服は、いつの間にかユニクロになった。食事もすべて自分でつくることにした。

けれど、何よりも辛かったのは3人いた社員の給料が払えなくなり、雇い止めを言い渡すときだった。苦楽をともにした創業からのメンバーもいた。ことあるごとに高級レストランでおごり、誕生日にはエルメスの名刺入れをプレゼントしていたが、そんなことよりも彼らをずっと雇っていけるように考えるべきだったのだ。全員に再就職先を確保できたことがせめてもの慰めだった。カード代の工面に走り回っているうちに外商からの電話はまったくかかってこなくなっていた。

「もとが庶民だから金持ちになりきれなかったんだ」

香織さんは当時の自分のことを典型的なニューリッチだったと振り返る。同じ時期に派手にお金を使っていた人は、どこかにいなくなってしまった。ランチ代を1円単位まで割り勘にしていた倹約家の医師夫人は今も健在である。

お金がなくなってからいろいろなことがわかるようになった。長男はホテルから食事が届く「セレブ産院」で100万円かけて出産したが、長女は都立病院で20万円で産んだ。でも痛さには大差なかった。バッグや食器を大切に使い続ける楽しさも知った。そもそも、自分は本当にエルメスのバッグがほしかったのかと考えてみれば、そんなことはなかった。もともと貧乏性なので、高いバッグを持ったら気軽に電車にも乗れず、ほとんど未使用同然だった。すべては見栄だったのだ。

■カードも借金だと気づかなかった

幸いだったのは借金がなかったこと。一度、6000万円のタワーマンションを買おうとしたのだが、夫が契約寸前に反対。広告のデザイナーだった夫は職人気質で、不思議なことに妻と一緒にセレブ生活をしていたときも今も、金銭感覚はブレていない。コンピュータの値段には詳しい夫だが、マンダリンオリエンタルホテルのエステが9万円するとは知らなかったのだ。香織さんがプレゼントしたゴヤールのブリーフケースが40万円すると最近知って、腰を抜かしそうになった。

セレブ妻になったつもりで右往左往していたのは自分だけ。男を見る目は間違っていなかった、と香織さんは語る。

「カードだって借金だっていうことに気がつかなかったんです。自分の両親も夫の両親もカードで買い物三昧なんて、もともと縁がない。だから、マンションもローンで買わずに踏みとどまれたんです」

今頃、6000万円のローンを抱えていたらと思うとぞっとする。仕事があるだけでもありがたいと思える心、何よりも家族が一番大切と思える気持ち。全部、没落したからこそ、わかったことだ。

セレブ時代より、収入が減った今のほうが貯金もできている。ゼロだった貯金はやっと今500万円になった。

「もしまた収入が増えることがあれば、もっとましなお金持ちになれると思います。今度は社会に還元したり、なるべく人のために使いたい」

3万円のお祝い返しを贈った旧友ともつきあいを再開した。「大丈夫、わかってるよ。あんたがちょっとおかしくなっていたってこと」と彼女は笑ってくれた。

本当にほしいもの、ほしくないもの、大切なもの、大切じゃないもの……高い代償だったが、自分の「価値観の仕分け」ができたことは無駄ではなかったと思いたい。

「結婚当初に住んだのは家賃7万円のアパートだった。だから没落してもまた這いあがれると思うんです」と語る元セレブ妻の香織さんの顔は何か晴れ晴れとしていた。

※すべて雑誌掲載当時

(白河桃子=文 澁谷高晴=撮影)