埼玉西武ライオンズ福岡ソフトバンクホークスの第8回戦は、7対2でライオンズが勝利した。
 2対2の同点で迎えた6回、ライオンズは星秀和のタイムリーヒットなどで3点を勝ち越すと、9回には栗山巧の2ランホームランで2点を追加。投げては、地元福岡県出身の野上亮磨が6回2失点で2勝目を挙げた。

 ライオンズはこの試合、日曜日の対北海道日本ハムファイターズ戦に続き、先日永久欠番入りを果たした西鉄ライオンズのエース、稲尾和久背番号24をつけて臨んだ。
 西鉄ライオンズは福岡県を本拠にしていたチーム。福岡県は今でこそホークスのフランチャイズだが、今回の試みにはホークスも協力。始球式のマウンドには、稲尾の孫である長谷川諒君が登板。試合には、西鉄ライオンズの切り込み隊長と言われた高倉照幸氏が招待された他、バックスクリーンに映し出されるライオンズのロゴマークも西鉄ライオンズ時代のものだった。
 相手チームのイベントににも関わらず、協力を惜しまなかったホークスには拍手を送りたい。あぁ、パリーグの球団のファンで良かった

 ヤフードームではなく、西鉄ライオンズの本拠地、平和台球場で試合をすればもっと良かったのだが、平和台球場は現存していない。
 1987年の改修工事の際、「古代アジアの玄関口」とされる鴻臚館遺跡が発見され、1997年の歴史公園の整備に伴い閉鎖されてしまった。今では球場設備は完全に撤去され、記念碑だけが残っている。

 人間もう見られないとなると、余計に見たくなるもの。先日のレバ刺し騒動と同じだ。だからと言って、ウィキペディアなどからの情報を羅列しても面白くない。
 ということで今回も、自身も西鉄ライオンズで投手として活躍した河村英文氏の「伝説の野武士軍団 西鉄ライオンズ」(葦書房)を参考にする。

 河村氏によると、平和台球場は「大変な代物だった」(原文のまま)。戦後間も無い福岡国体に合わせて建設された球場だけに、「設備の面では、すべて粗悪を極めた」(同)。
 ステンドは全て土盛りで、それに長い板を並べて腰掛けをつくったのが観客席。外野は板の席さえなく、観客はみんな、ぺんぺん草が生えた土盛りのスタンドに座る。報道関係者の席はあるものの、まるで掘っ立て小屋だった。
 野武士軍団が座るベンチはと言うと、天井はトタンばり、椅子は三流公園に置かれているような代物。おまけに汲み取り式のトイレが隣接しており、夏場にはゆうに40度を越える暑さと、強烈な匂いが選手たちを悩ませた。
 河村氏も、「西鉄の選手の頭がおかしかったのは、このせいではないかと言う人もいるぐらいです」と紹介している。(西鉄ライオンズについては、3日付の投稿「野武士軍団の総大将」(http://blog.livedoor.jp/yuill/archives/51675914.html)を参照)

 とてもプロ野球の試合が行われるとは思えない平和台球場だったが、選手たちにはなぜか好評だった。それは、ベンチ後方に設けられた小窓のおかげ。空気抜きの小窓だが、選手たちには大人気だった。

 なぜ小窓に人気が集まったかって? 涼しい風に当たるためではない。選手のベンチの後ろにはスタンドがあり、小窓から女性ファンのパンツが覗けたからだ。

 最初に気付いたのは、2塁手の今久留主淳。自分の打順が回ってくる度にその小窓に行き、かしわ手を打って最敬礼した。
 その様子に不思議がるチームメイトをよそに、今久留主はヒットを連発。こうなったら困ったときの神頼みで、誰もが今久留主のマネをする。そして、チームメイトに知れ渡ることになった。

 他所のチームなら、今久留主らは白い目で見られたのだろうが、そこは野武士軍団、西鉄ライオンズ。もう、試合なんかそっちのけで、見えた、見えたと大はしゃぎ。小窓は人だかりの山で、試合に集中しているのは打席の打者と次の打者、3塁コーチャーズボックスに立つ三原脩ライオンズ監督、キャプテンの宮崎要ぐらいだった。

 スカート覗きは、さらにエスカレート。試合前の練習では、ちらりちらりとスタンドに目を向け、女性ファンの足が開くのを今か今かと待つ。ダイヤモンドの中にいてはよく見えないと、スタンドの前でいわゆる壁当てを始めるのだが、気がつけば同じ穴のムジナが3人、4人、5人・・・。
 選手が横一列に並び壁当てをする光景は異様だが、どういうわけだか、スタンドの女性ファンは気がつかなかった。

 女性ファンにはばれていなかったが、首脳陣はとうに気付いていた。中でも三原監督は頭が痛く、「よくもまぁ、これだけ助平が集まったものだ」と、投手コーチの石本秀一に漏らしていた。
 だが、この石本コーチもなかなかに話しがわかる方。「三原さん。あんたも若いときに覚えがあるでしょう。これ以上ひどくなるようじゃ考えんといけんが、今くらいだったら大目に見てあげんさい。その代わり、野球でしぼり上げることじゃな」。

 この石本コーチのアドバイスを全面的に取り入れたかどうかは不明だが、三原監督は選手たちの息抜きを許した。「プロ野球選手は、普通の人より気分転換が上手くなくてはならない。(中略)負けたからといって、それが尾を引くようでは翌日の試合に響く。過ぎ去ったことはさらりと忘れ、また一から出直せば必ずいい結果が生まれる」。

 そんな三原監督の助言を素直に聞くのが、野武士軍団のいいところ。小窓からのスカート覗きを肥やしに、試合に臨んだのだった。


 以上、河村氏に平和台球場を紹介してもらったが、パンツのことしか触れていないではないか。

 平和台球場の当時の熱気のことを知りたいのなら、岡田潔著「我が心の博多、そして西鉄ライオンズ」(海鳥社)をお勧めする。福岡で幼少期を過ごした著者のエッセイで、いかに当時のファンが野武士軍団に魅了されていたかが分かる。
 ちなみに、ベンチからパンツが覗けたことについては、もちろん書かれていない。