球団名をフロリダ・マーリンズからマイアミ・マーリンズに変更。本拠地球場も従来のアメリカン・フットボール競技場の間借りから、フロリダ州で多いスコール対策も考え、開閉式屋根付き球場マーリンズ・パークが完成。ホゼ・レイエス遊撃手、マーク・バーリー投手の大物FAも獲得し、創立20年目で、従来の貧乏球団からの脱却を狙っている。そんなチームが全米のオールド・ベースボール・ファンから批判を浴びている。

 理由はチーム唯一の単独永久欠番5を、24歳の新鋭外野手ローガン・モリソンに与えたことだ。5番の永久欠番は1993年からナ・リーグに参入したマーリンズ創設に尽力したカール・バーガー球団社長が1992年のウインターミーティング中に大動脈瘤破裂で急死。初代オーナーのウェイン・ハイゼンガー氏は、ヤンキースのジョー・ディマジオのファンだったバーガー社長を悼んで、ディマジオが着けていた「5」(球団創設初試合が4月5日だったことも加味したという説もある)を球団が1試合も行っていない段階で、永久欠番にしたのだ。今回、モリソンは2年前に急死した父がロイヤルズ最大のスターだったジョージ・ブレットの大ファンで、ロイヤルズでの永久欠番が5だったことで球団に希望。選手ではない永久欠番として軽んじたのか、ジェフリー・ロリア・オーナーの判断で了解したという。


 コチラで書いたように1982年オフのジャイアンツ移籍時のバリー・ボンズ、そして2000年レッズ移籍のケン・グリフィーが、ともにチームの永久欠番24(ジャイアンツはウイリー・メイズ、レッズはトニー・ペレス)を要求したものの叶わなかった。もっとも、近年は2007、8年のタイガースでプレーしたゲーリー・シェフィールドが、アラン・トランメルの欠番である3番、昨年もホワイトソックス入りしたオマー・ビスケルが、同じベネズエラの名遊撃手ルイス・アパリシオが着けていた11番でプレーした。ともに欠番の主が承諾しての着用となった。

 シェフィールド、ビスケルは移籍時点で素晴らしい実績を残したことも考慮されて、あまり批判にさらされなかった。ところが、今回はメジャーで185試合しか出場していないモリソンの要求であり、またバーガー氏の遺族に連絡していなかった模様で、娘のベッツイーさんは「一切聞いていない。球団には本当に失望している。私たちに協議する時間を与えてくれれば良かったのに」と地元紙に答えているように、問題をこじれさせてしまった。球団側は新球場にバーガー氏の額を掲示するから、そのセレモニーへの出席を要望しているが、その後の経過は両者の動きは伝わってきていない。

 私はジャッキー・ロビンソンの全球団共通の永久欠番「42」にはいまだに承伏できない(これはセリグ・コミッショナーのごり押しで、彼の悪政の一つだと思っている)。しかし、各球団で選定した永久欠番は、理由がどうあれ大事にするべきと考えている。今回の措置は、新生マーリンズにとって悪いイメージを残してしまった。父親の憧れだったブレットのようなスター選手にモリソンが成長しなければ、バーガー氏が浮かばれない。