もうすぐ震災から二か月 「自分には何ができるのだろう?」と問いなおす

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ある日、自衛隊を退職したおじさんに会った。東日本大震災の直後、彼は「自分は自衛隊で鍛えた身体と技術がある」といって、被災地でのボランティアに立候補する。しかし、現地の自治体からきっぱりと断られた。それで、現在にいたるまで「なんで断るんだ、けしからん」とキレつづけている。

そこで、いろいろ質問をしてみた。震災直後の混乱期に被災地へひとりでいって、だれとコンタクトをとり、だれの陣頭指揮の下、どんな活動をしようとしていたのか。どこに泊まり、食事はどうするつもりだったのか。阪神淡路大震災や中越地震の際、ボランティアがどのように動いたのか知っているのか……。

別に責めるつもりはなかったが、質問をしているうちにおじさんは黙りこんでしまった。たぶん、おじさんは、現地の惨状をテレビや新聞で見聞きしているうち、現地の人びとを助けたくて仕方がなくなり、ボランティアを思いたったのであろう。そういう思い自体は尊敬すべきことであり、ただただおじさんの胸に素朴な善意が発動したのだと思う。

でも、その素朴な善意が発動することと、被災地でおじさんがその善意を元にボランティアをすることのあいだには、深くて長い川が存在する。その川には、「混迷する現地事情」や「悲しみに打ちひしがれる被災者たち」、「ズタボロになった町」、「東北特有の自然環境」など、多くのものが流れている。

この流れているものの一つひとつを、まずは情報だけでもいいから自分の心に焼きつけ、そこで初めて「自分に何ができるのか」と考えてみる。すると、被災地にいかなくたって、自分にできることがあることに気づくかもしれない。募金をする。被災地の商品を消費する。そして、何より、被災地の人びとに思いをはせる。

もうすぐ、震災から二か月が経過する。被災地は、完全な復興にはほど遠い状態ではある。被災者の心の傷が癒える日も、まだ遠い。それでも、現地の事情は以前よりも落ちつき、被災者にすこしずつ笑顔が戻ってきているようだ。とくに、ボランティアのネットワークは、さまざまな分野に張りめぐらされつつある。

そこで、おじさんにこう問いかけてみた。「いまなら、どこかのボランティア団体をとおせば、おじさんの善意が被災地に受け入れられるかもしれませんよ」。おじさんは、こう答えた。「気分が盛りあがってるときにボランティアを断られて、正直、ムカついた。けど、そりゃ逆ギレか(笑) いまさらいくのは、恥ずかしいなぁ。でも、どうせ暇だし、いってみっか!」

震災から二か月たったいま、被災地や被災者に対してできることは、震災直後とはレベルや位相が異なってきている。現地に足を運べていない筆者がいうのはもどかしいが、読者のみなさんもこのタイミングで、「自分に何ができるのか」を再考してみてはどうだろうか。深くて長かった川は、前よりも浅くて短くなっているかもしれないのだから。

(谷川 茂)

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