アジアチャンピオンズリーグ準々決勝、川崎対名古屋の第1戦のスコアは2−1。アウェーゴールルールに基づけば、とても微妙なスコアに見える。名古屋の1点はアウェーゴール。実際には1点以上の価値がある。リードはせいぜい半馬身。頭の差ぐらいしかない。気分的には、Jリーグで現在、川崎の後塵を拝している名古屋の方が上と言ってもいいだろう。

ところが翌日の、あるスポーツ新聞には、こう出ていた。

「川崎、逆転で先勝! 4強入りへ前進」

アウェーゴールルールの感覚とは、まるで乖離した見出しだ。

準決勝第2戦は、リバプールが2対1でマンチェスターUを下したが、決勝戦には、第1戦との合計スコアで上回ったマンチェスターが進出を果たした──欧州チャンピオンズリーグの報道によくありがちな、こんな言い回しをふと想起する。

第1戦はAの勝ち。第2戦はBの勝ち。合計ではAの勝ちと、それぞれを勝ち負けで区切る報じ方だ。結果報道の典型的な例になるが、日本メディアを支配するこの姿勢こそ、「サッカー偏差値」の上昇を妨げている大きな要因の一つだと思う。

サッカーとの相性が悪いのだ。「サッカーらしさ」や「サッカーの魅力」を伝えることは、そう簡単ではない。手間も掛かれば勇気もいる。理解できない人が生まれることを覚悟しなければならない。サッカーにそれほど詳しくない多くの国民まで相手にする大きなメディアにとってはなおさらだ。一般紙やテレビが、日本国民の「ド真ん中」に向けて報じたくなる気持ちは理解できる。テレ朝的な盛り上げ方もやむを得ない気はするが、それでは日本のサッカー偏差値は、なかなか上がらない。普及発展の妨げにもなる。


1億2千7百万人いる日本人の中で、サッカー好きはだいたい1千万人を超えると僕は思っている。10人に1人以上はサッカー好き。一方で、それほど詳しくない人は10人に9人近くもいる。もし、サッカー的な感覚と、従来の日本人感覚との間に大きな隔たりがなければ、なんの問題もない。「サッカーらしさ」や「サッカーの魅力」を、すべての国民に積極的に伝えられるが、残念ながらそうしたサッカー的なものは、日本人にとって異文化だ。1戦必勝の甲子園の高校野球でも相撲的でもない。アウェーゴールルールなどはその典型だ。

サッカー的な魅力を、誰に向けてどう伝えるか。メディアが国民のド真ん中に向けて発したニュースは、サッカー好きには、稚拙なものに見えてしまう。ストレスを貯めている人は確実にいる。

そこでスポーツ紙まで、そちら側に付いてしまえば「サッカーらしさ」や「サッカーの魅力」は、ますます伝わりにくくなる。残されたメディアは、専門誌とスポーツ誌がせいぜいだ。サッカー好きとのバランスさえ悪くなる。彼らのサッカー偏差値さえ停滞する。

「日本、終盤怒濤の3連続ゴールで、強豪ガーナに逆転勝ち!」

この、先のガーナ戦の結果報道も、サッカー文化からかけ著しく離れたものになる。これにもストレスを貯めた人はさぞ多いと思われるが、一方で日本人の、10人に9人はこれをすんなり受け入れている。この現実、この激しいギャップをどう解消するか。いつになったら埋めることができるか。異文化が異文化でなくならない限り、僕は日本のベスト4はあり得ないと思っている。

それができれば必然、監督のレベルも、選手のレベルも、飛躍的に上昇しているに違いない。カギはメディアの異文化との向き合い方にあると僕は思っている。

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