4月22日に宮城県仙台市で開催された「羽生結弦2連覇おめでとうパレード」は主催者発表で10万8000人を集める大変な盛り上がりでした。同じ仙台市で2013年に開催されたプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一パレードが21万人の人出ということでしたので、その半分をひとりで集めてしまう羽生選手の人気のほどが改めてうかがえるイベントとなりました。

大盛り上がりのパレード後、インターネットのSNSを中心に新たなファンの活動が盛り上がっています。ハッシュタグ「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」をつけて、パレード中の羽生選手の写真を投稿する動きなのですが、投稿された写真が見事に「下手くそ」ぞろいなのです。

木の枝に重なって羽生選手の姿が見えない写真を「森の妖精か」とボヤくもの、柱の陰に入り込んで姿がまったく見えない写真を投稿して「ポールより細いから…」と嘆くもの、ピンボケの画像や、間違えてほかの人を撮影してしまった画像、前に立っている人の後頭部しか写っていない画像など、たくさんの投稿が見られます。普通なら、削除してしまえばよさそうな「下手くそ」画像が、このような動きにつながっていくのも羽生選手ならではの現象と言えるでしょう。

実は、このようにファンが自由に羽生選手を撮影できる機会はほとんどありません。羽生選手は遠くカナダを拠点に練習しているため遭遇の機会は乏しく、日本国内での競技会は基本的に撮影が禁止されています。一部のアイスショーでは撮影可能なイベントもありますが、そこに羽生選手が出演する機会はほぼありません。海外で開催される、観衆による撮影が可能な競技会など、わずかな機会を求めて熱心なファンは羽生選手を追いかけているのが現状です。

そのような背景を踏まえると、パレードが目の前を通過する数十秒の時間、そこで撮影した画像はたとえピンボケでも姿が隠れていようとも、ほかでは機会を得られない貴重な画像ばかりなのです。1枚たりとも無駄にできない貴重さが、一般的には削除するような「下手くそ」さであっても、愛さずにはいられない価値をもたらしているのです。

これは羽生選手がファンとの交流に関して、一貫した節度を持ちつづけているからこその現象です。プライベートを覗き見るような行為をさせず、また自身も誰かを特別扱いするようなことはありません。ファンもまた節度をもって慎みある行動をしています。そのため羽生選手の普段の姿が垣間見えるのはスケーター同士の交流や、訪れた飲食店での記念撮影くらい。そうした節度ある日常が、貴重な撮影機械の撮られた画像を、たとえ「下手くそ」であっても愛すべき画像として価値を持たせるのです。

そして、「下手くそ」画像に価値があるということは、「上手な」画像の価値はさらに高いということです。羽生選手の写真集「YUZURU」を撮影した写真家である能登直氏はファンの間での知名度も特に高く、パレードの日にはコースからほど近い商店街で羽生選手をテーマとした能登氏の作品展が開催され、多くのファンが詰めかけていました。誰しもが撮影することはできない希少な対象だからこそ、そこでファンが求める理想の一枚を撮ってのける「プロフェッショナルの仕事」の価値が、ファンの間にも認識されるようになっているのです。羽生選手の節度ある振る舞いが、周囲の人の優れた仕事に対しても目を向けさせるような「好循環」を生んでいるのです。

筆者自身も羽生選手のパレードに参加し、撮影を行いました。すべてが素晴らしい写真ではありませんでしたが、「下手くそ」でも捨てがたい写真ばかりでした。もちろん顔が撮りたいわけですが、タイミング悪く後ろ向きになった場合も「背中が撮れた」と前向きに考えられる、そんな貴重な機会でした。

「下手くそ」写真にすら愛を抱かせる、それは羽生選手とファンの素晴らしい関係性を示す現象ではないでしょうか。ぜひ「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」をご覧下さい。

<筆者撮影による羽生選手が後ろ向きとなった「下手くそ写真」>


文=フモフモ編集長