タイに2−0で勝利し、最悪の事態だけは免れたハリルジャパン。これまでの経緯から見ても、本田圭佑が真ん中に入り込んでしまう弊害こそが触れるべき一番のポイントになる。前回、ザックジャパンでは、香川真司がそれと全く同じ症状を露呈させ、ブラジルW杯対コートジボワール戦の敗因につながった。

 さらに、その前の岡田ジャパンで、その症状に陥ったのは中村俊輔だった。南アW杯本大会直前までの話だが、当時、その代役として活躍した本田が現在、それを繰り返す姿を見せられると、もはや完全に日本サッカー界全体の問題として捉えるべき事象になる。
 
 何より指摘する人がいないことに驚かされる。真ん中に突っ込むサッカー、左右非対称なサッカーを、悪い症状だと思っている人が少ない。これは特定の選手に限った問題ではないのだ。監督、指導者、そしてその予備軍である解説者、評論家の責任は大きい。もちろん、日本人の悪癖に手をこまねいている時の外国人監督の責任も重いが、それだけの問題ではない。
 
 しかし例外は存在した。2010年南アW杯に臨んだ岡田監督だ。彼は、最後の最後になって手を打った。
 
 中村を外し、それまでサブ扱いだった本田をセンターフォワードとして起用。グアルディオラのバルセロナ等、欧州のいくつかのチームで採用されていた「0トップ」を岡田サンは、時の日本代表に取り入れ、現状打開を図った。自国開催の2002年大会を除けば、初の快挙となるそのベスト16入りを語る時、それは一番の要因に挙げられる。

 成果を正確に言えば、0トップそのものと言うより、0トップがもたらした副産物だ。0トップは、同時に、その両サイドで構える選手を高い位置に置く作戦でもある。大久保嘉人(左)と松井大輔(右)は、現在の本田、14年の香川、そして中村のように長時間、内に入り込むようなことはなかった。多くの時間、ポジションに従っていた。攻撃が真ん中に偏ることも、相手のサイドバックの攻撃参加に注意を怠ることもなかった。左右対称は一試合通して崩れなかった。それが強みになっていた。

 日本の悪癖に、最も正面から向き合ったサッカー。いま振り返れば、岡田ジャパンは、評価すべきサッカーを展開した。その時、0トップで主役を張った本田が、まさかその数年後、悪癖を演出する当事者になろうとは予想だにしなかった。

 攻撃が真ん中に偏るサッカーに異を唱えることなく、肯定し続けている日本。それは、日本で流行している布陣とも深く関係している。

 3−4−1−2、3−4−2−1など、サイドアタッカーを1人しか置かない布陣を採用するチームが目立つことだ。ピッチに描かれる集団のデザインは、自ずと二等辺三角形(クリスマスツリー型)になる。守備的サッカーの典型と言われるものだが、これまでにも再三、述べているが、欧州でこうしたサッカーが流行している国はない。ユーロ2016本大会に出場した国を見ても、サイドアタッカー1人の布陣を採用していた国は24か国中、イタリアとウェールズのみ。3バックを採用していたわけだが、その両国にしても、Jリーグで見かける3バックより守備的ではなかった。つまり、二等辺三角形の度合いは緩やかだった。

 いわゆる3バックが流行し始めたのは、加茂ジャパン時代(95年1月〜97年10月)の後半。とはいえ、それは3−2−2−2的で、3−4−1−2や、3−4−2−1に比べると、二等辺三角形の度合いは緩やかだった。

 第1次岡田ジャパン(97年10月〜98年6月)になると、二等辺三角形はシャープになり、3−4−1−2をほぼ4年間通して採用したトルシエジャパン時代(98年9月〜02年6月)になると、決定的になる。