デビュー直前、19歳で事故死……カントリー娘。の悲劇を振り返る

写真拡大

「アイドルは期間限定の花火みたいなもの」とは、AKBの生みの親・秋元康氏の言葉。人が肉体的にも精神的にも若くいられる時期は限られています。ある人は勉強に、ある人は部活に打ち込む青春を、アイドルの女の子たちは歌って踊ることに費やしているというわけです。
だからこそ、若さとエネルギーを燃焼しつくすかのような彼女たちのステージ上におけるパフォーマンスは、いつの時代も見る人の心を掴んで離さないのでしょう。

2016年8月20日。アイドルユニット『℃-ute』が、2017年6月のさいたまスーパーアリーナでの単独公演をもって解散することを発表しました。同ユニットは、来年で結成12周年。女性アイドルグループにしてはかなり長期間続いたわけですが、やはり「花火」であるがゆえ、消え行く定めからは逃れられなかったようです。

現在も活動を続けるカントリーガールズ


もっとも、彼女たちが所属する「ハロー!プロジェクト」は、アイドルの商品価値が長期継続するようなビジネスシステムの確立に心血を注いできました。そうした努力によって誕生したのが、モーニング娘。です。
メンバーを入れ替えながら、浮き沈みの激しい芸能界で生き残り続け、来年には結成20周年。このモー娘。と同じように、ハロプロ内で長寿化しているグループにカントリーガールズというユニットが存在します。

現在、「許してニャン♪」でお馴染みの「ももち」こと嗣永桃子も所属する同ユニットが「カントリー娘。」として始動したのは、1999年のこと。結成当時のコンセプトは、半農半芸アイドル。プロデュースを担当する予定だった田中義剛が経営する「花畑牧場」の住み込み従業員として働きながら、タレント活動を行う予定でした。

車の下敷きに…カントリー娘。メンバーが死亡


そんな、デビューを間近に控えたカントリー娘。に悲劇が訪れます。99年7月16日。この日の17時ごろ、メンバーの一人・柳原尋美(やなぎはらひろみ)は、振り付けレッスンを受けるため、自ら運転する三菱パジェロで花畑牧場へ向かっていました。
走行中、ハンドルの操作を誤り、右に蛇行。慌てて左に切り返したところ、車体が横転してしまいます。その衝撃で外に放り出された彼女は、車の下敷きに。救急車ですぐさま帯広救急救命センターに運ばれたものの、時既に遅し。19時10分、緊急性気胸による急性心不全のため死去。享年19歳でした。
あまりに突然過ぎる別れ……。事故の直後、ニュースで葬儀の様子が何度も放送されていたのですが、喪服姿の田中義剛が無念さを滲ませながら、泣きじゃくっていたのが印象的でした。

最初で最後のオリメン楽曲、北海道内で品切れ続出


もちろん義剛だけでなく、北海道に住むファンも、柳原の死を悼みました。その反響はすさまじく、最初で最後のオリジナルメンバーによる楽曲となったデビューシングル『二人の北海道』は道内限定のインディーズ販売ながら、品切れが相次ぐ事態に。札幌市のあるレコード店では、販売から1時間で完売したという逸話まで残っています。

その後、つんく♂にプロデュース権が譲渡され、何度もメンバーの加入・脱退を繰り返しました。一時期は開店休業状態になりながらも、現在、再び活発な活動を見せているカントリー娘。改め、カントリーガールズ。アイドルとして燃焼し尽くした者、そして、アイドルとして志半ばで果てた者の思いも乗せながら、今後も活躍し続けることでしょう。
(こじへい)