現地時間28日(日本時間29日)のオリオールズ戦でメジャーデビューを果たした村田透 [Getty Images]

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 インディアンス村田透が、現地時間28日のオリオールズ戦でメジャー初登板・初先発を果たした。

 結果は3回と1/3を投げて被安打4、与四球1、2発を浴びての5失点(自責は3)。ほろ苦いデビューとなったが、10年に巨人を戦力外となってから5年、村田はたしかにメジャーのマウンドに立っていた。

 07年の大学・社会人ドラフト1位で巨人へと入団した村田は、大体大出身ということもあって“上原2世”として将来を嘱望されていた。ところが、待っていたのは高く分厚いプロの壁。特に選手層の厚い巨人だったこともあり、結局一度も一軍のマウンドに立つことなく、たった3年で戦力外通告を受けた。

 それでも、野球を諦めなかった男は海を渡り、過酷な1Aからのスタートで見事にメジャーへ這い上がる。日本で一軍未出場だった選手のメジャーデビューは史上初のことだった。

 渡米から5年、30歳を迎えていよいよ後がなくなってきた頃に訪れた転機。村田は、夢舞台を掴むことができた要因としてある新球の存在を語った。

 “カッター”。日本でカットボールと呼ばれるこの球種は、速球に近い速度から打者の手元で小さく変化するのが特徴で、空振りを取るというよりも、バットの芯を外して凡打を打たせるために用いられるボールとなる。

 この球種を習得した今年、村田は3Aで14試合に登板して5勝3敗、防御率2.79を記録した。過去3年間は防御率5点台というシーズンが続いていただけに、劇的な変化と言える。

 また、所属するインディアンスがア・リーグ中地区4位と状態が良くないのも好都合だった。常にチャンスがあり、村田が好投を続けていると、入れ替え担当のスタッフから「あと4回くらいクオリティ・スタート(6回を自責点3以内)を続けたらユニフォームの色が変わるかも」と声をかけられたという。

 「アメリカに来た時は、全く先が見えていなかった。それが今年は特にマウンドでMLBを意識して投げるようになった」と村田。心技体が揃い、メジャーへの道を切り開いた。

 今回マイナーへ降格にはなったものの、メジャー出場の前提となる“40人枠”には入っており、今後もチャンスがあればいつでも再昇格することができる。

 あくまでもデビューは通過点。“アメリカン・ドリーム”をその手で掴むまで…村田透の挑戦は続く。