ゾンビのときにはアグレッシブな走るゾンビ。これが少し後には友情に厚いナイスガイになったりするのでおそろしいのです。

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俺はよー
おまえら人間にナイフで刺されたんだよ(人間に傍点)
携帯とりに教室戻っただけでなー

「ゾンビ映画大マガジン」によると、2002年から2010年で約300本、最高で年間約40本のゾンビ映画がリリースされていた。ここ数年は減少傾向にあるが、かわりに「ウォーキング・デッド」のヒットにより連続ドラマが増えているから、相変わらず世界中でゾンビという鉱脈が掘りまくられている。

さすがにもう掘り尽くしただろうと思っていると社会の方が変化して、あたらしい鉱脈ができているのがゾンビの特徴だ。意識を持つゾンビが地域社会に溶け込むよう努力する連続ドラマの「In the Flesh」など、さまざまな切り口が模索される中で、また新しいゾンビ設定が発明された。

「異骸 - THE PLAY DEAD/ALIVE-」の、ときどき我に返るゾンビだ。

舞台は周囲を山に囲まれた高校。インターハイ予選を控えたボクシング部のアキラは、幼馴染みのくるみ、親友の梅澤とともに、突然凶暴化した男子生徒から襲われる。

噛みつかれたくるみと梅澤も、同じように様子が急変。走り去ったくるみを追ったアキラが見たのは、教室で人肉を咀嚼するくるみの後ろ姿だった。何とか止めようともみあっているうちに、くるみは突然意識を取り戻す。

「いつものおまえに戻ってくれよ…」と涙ながらに願っていたアキラもまさか本当に戻るなんてと驚くが、ゾンビになっていたくるみもさらにビックリだ。

ゾンビ中の記憶がないから、気が付いたら口元が血まみれで、いつのまにか生肉をたくさん飲み下している。しかも傍らには中身をさらして倒れている生徒……。想像するだにおそろしい。

人間を襲った後のゾンビが意識を取り戻す設定は、珍しいがまったく無いわけでもない。韓国のオムニバスゾンビ映画「隣りのゾンビ」に、ゾンビが完治するワクチンの短編があった。しかし完治しても幸福にはなれない。記憶は無くても悪夢に悩まされ、差別のせいで再就職もできず、お金がないから公園で酒盛りして互いになぐさめあう。元ゾンビたちのわびしい姿が胸にしみた。

しかしこの短編はいわば事後。「異骸」はまさにその最中に意識が戻る。さらに正確な間隔は不明だが、噛まれた人はだいたい数時間で全員一斉にゾンビになったり人間に戻ったりを繰り返す。この性質がゾンビもののお約束をひっくり返す。

ゾンビ映画でよくある行動は、人間からゾンビが一方通行であることが前提になっている。たとえば自衛のためにゾンビを思うさまブン殴る。このままでは全員死ぬから一番どんくさい人に犠牲になってもらう。すべてゾンビに口なしだから通用することだ。「異骸」ではやったらどうなるか?

何とか助かったと思ったら、ゾンビだった人や見捨ててゾンビになった人が、恨みをこめたまなざしで目の前に立つ。幽霊ではなく生きてしゃべる人間として。自分のせいで血まみれになった姿で。ゾンビになるのもイヤだが、これもイヤだ。

走るゾンビが押し寄せる極限状態だから、誰も傷つけずに切り抜けることはできない。だから「噛まれていないもの」はみんな自分を正当化してどんどん自分勝手になっていく。

一方でゾンビとして厳しく差別される「噛まれたもの」の中には、他人をかばって犠牲になったと思われる人望が厚い人材が多くいて、ゾンビだからではなく人間としても集団としてまとまりつつある。この「噛まれてその後」があるからこそ成り立つ状況設定も、どう転んでも悪い予感しかしない緊張感に満ちている。

その緊張感の中で空気を読まずに「はっ走るゾンビは認めない〜〜」「一応言っておくけどゾンビのモデルって狂犬病なんだ…」など聞かれてもない主義や豆知識を披露するゾンビ映画マニア(古池と書いてフルチ)もいて、今後は活躍もするらしい。そこも含めてゾンビ好きなら必ずチェックしてほしい期待の新作です。
(tk_zombie)

佐伊村司 『異骸 - THE PLAY DEAD/ALIVE- 1』