NRAのワッペン。銃、国旗、アメリカを象徴するハクトウワシは、ホームページでも多用されています。

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6月10日午前8時頃、アメリカのオレゴン州にある高校の体育館でアサルトライフルの銃声がひびきわたった。ロッカールームにいた14歳のエミリオ・ホフマンが射殺された音だった。この学校の新入生である15歳の少年はかけつけてきた体育教師にも発砲してケガを負わせたあと、自らの命を絶った。

74。2012年12月にコネチカット州サンディフック小学校で起きた、児童20名と教員6名が犠牲になった銃乱射事件以降に発生したスクールシューティング(教育機関で発生する銃乱射事件)の件数だ。

オバマ大統領は激怒した。サンディフックの事件から銃規制法案を提出しているのに、議員の反対に遭って成立させられないからだ。

「私の一番大きいフラストレーションは、ひどい事件を起こすような人々の手から銃を遠ざける手続きが、この国では取れないことだ」「我が国における銃による暴力は度を越えている。このような状況に甘んじている先進国はほかにない」と厳しく糾弾し、続けて「多くの議員が全米ライフル協会(NRA)を恐れている」と非難した。

名指しで非難されたNRAは「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ」がスローガンの銃愛好家の市民団体で、銃乱射事件が起きるたびに糾弾される銃規制反対派の親玉だ。

今回の事件にはまだ声明を出していないが、サンディフックの直後には「銃を持った悪漢を止められるのは、銃を持った良き市民だけだ」とコメントしてひんしゅくを買った。侵入してきた悪者を、やさしい先生が笑顔のまま撃ち殺すイメージが目に浮かぶ。ちょっと無理があるような…。

やっぱり無理があった、という事件が今月8日にラスベガスで起きた。こちらは反政府的思想にかぶれた夫婦が警官二人を含む三人を射殺した事件で、容疑者も自殺している。殺された三人のうちの一人は一般市民で、警官二人を殺したあとスーパーに逃げ込んできた容疑者たちを止めようと銃で立ち向かい、射殺されてしまったのだ。当然ながら、銃で戦って勝つには専門技術も実践経験も必要になる。すべての良き市民がそれを積むのは難しい。

また、NRAは2013年に「銃による死傷事件はこの100年で最低水準になっている」とコメントして銃規制では問題が解決しないことを訴えたが、スクールシューティングに限れば、ここ5年で年あたり10件弱から30件以上に増加しているという調査結果が出た。また、医療機関の統計では銃規制が厳しい(人口あたりの銃保持数が少ない)州ほど、銃によるケガ人が少ないという見解も出ていて、旗色が悪い。

口ゲンカになったら勝てそうにないNRAだが、ホームページを見るとひたすら強気だ。名指しで批判してきたオバマ大統領の変顔をバナーにしたり、「銃規制はオバマ大統領のやり残した仕事になるでしょうね」という動画を上げたり、真っ向からぶつかる姿勢である。

これには理由がある。2012年の記事によると、アメリカにおける銃の販売数は、1999年の78万丁から2011年の100万丁と20万以上増えている。しかし、個人の銃を所有しているアメリカ人の割合は、1980年の29%から2010年の20.8%とここ20年で9%近く減少していた。つまり、熱心な銃愛好家が買い支えている。

熱心な銃愛好家に弱腰なところを見せて幻滅させたら、献金とともに多くの議員を恐れさせている約500万人の会員の維持も難しくなるかもしれない。だから相手が大統領だろうが、ちょっと旗色が悪かろうが、強気な姿勢を崩すわけにはいかないのだ。

そんなNRAが最近力を入れているのは、銃を表に出して持ち歩く「Open Carry」の権利を守るキャンペーンだ。「こわい」「危ない」という周囲の非難に対して、いつも通り銃で武装する権利で対抗していたが、ある日誰かがうっかり「銃をおおっぴらに持ち歩くのは、やはりこわいし、おかしいですね」と公式ブログに書いて、主要メディアに大きく取り上げられた。

そのエントリは24時間を待たずに消されて「間違いでした」と訂正を出したが、「NRAがついに常識的になったのかと思ったら、すぐ元に戻った」とからかわれてしまった。あたりまえだけど、同じ組織だって全員が同じ意見なわけではない。だから、あんまり権利を主張して突っぱねずに、いろいろな意見を聞けばいいのにな、と思う。
(tk_zombie)