『クロニクル』監督:ジョシュ・トランク/出演:デイン・デハーン、アレックス・ラッセル、マイケル・B・ジョーダンほか/配給:20世紀フォックス映画/2013年9月27日より2週間限定ロードショー。10月12日よりTOHOシネマズ 梅田、109シネマズ名古屋、TOHOシネマズ天神で拡大公開。新宿シネマカリテでは続映決定

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高校時代に「自分が大爆発して何もかもぶっ壊れればいいのに」と本気で思った。
ゲラゲラと笑うところねここ。
でも本気で、ぶっ壊れろって思ってたからね。
映画『スキャナーズ』を何回も見ながら、妄想シミュレーションしてみたり。若いなあっていうか、病んでたなあ。
そういう妄想をして、結局教室で黙って寝たふりしてるのね。
高校時代の捻くれてほどけなくなった妄想は、今は完全に封印したぼくの暗部です。
大人になって生きる重みや意味を知り、自分の行動が周囲に及ぼす影響を理解し、世界が広いことを知って、一切合切捨てました。

だからジョシュ・トランク監督『クロニクル』の記事をtk_zombieさんの記事で読み、米光さんからバトン回ってきた時は、やべえなと思った。
北海道ではありがたいことに急遽追加で拡大公開が決まって見ることができるようになったし、すっごく見たかった映画だけど、これ見たら閉めた蓋また開けないといけないってわかってたから、やべえなと思った。
だって、今でこそこの映画の面白さを色んな角度から探れるようになったけど、高校時代の自分がアンドリューの立場だったら、おんなじことしてるもの。

映画の主な内容についてはこちら。
超能力があってもリア充にはなれない。文化系ぼっち超能力大戦「クロニクル」(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース

ぼくが一番すきなのは、主人公アンドリューの部屋。
あいつ(愛をこめてアンドリューのことをそう呼ばせてもらいます)の部屋を映すのは、あいつが自分で買ったカメラ。最初は古臭いでかいビデオテープカメラってのもいい。
そしたら部屋の中に、自分の書いた「ぼくの考えた最強のヒーロー」みたいな落書きがいくつも貼ってあるのね。しかもうまくないの。
なんかこれ見た瞬間にがっつり封印をした高校時代のフタ開いちゃって大変でした。一般に言う「中二病」なわけですよ。もっと幼いかもしれない。字幕では「オタク」とも言われていたけど。ギークボーイでしょうかね。

この落書きに色んな物が詰まってるわけですよ。
なんでそんな落書きを飾っているのか。彼は学校で相手にされず、いじられるような対象で、父親は酒浸り、母は病気。そりゃ逃げ場所も欲しくなるというものです。
加えて、コミックスとか雑誌とかポスターを買って切り貼りするようなお金もない。もしかしたら横暴にぶん殴ってくる父親に捨てられてるのかもしれない。
その何枚かのヒーローの落書きが、アンドリューの全てだったことを考えると、もう胸が痛くて仕方ない。
ホント何もない部屋なんだけど、ポテトチップスが散乱していたりするので、どうしようもなく閉塞感が強くて仕方ない。

『クロニクル』がオープンな超能力活劇の枠に単純に入らないのは(いや実際はなってるんだけど)、間違いなくカメラのせいです。
最初はずっと、アンドリューのカメラで撮った映像で描かれます。つまり嫌なものは撮らないし、撮りたいものは撮る。
完全一人称なんですよ。
自分の生活全てをおさめるんだ、ってあいつは言ってるけど、まーぶっちゃけ違うよね。
周囲のクラスメイトから距離を置いて斜に構えてるんだけど、お前女の子の尻撮ってるんじゃん! 何やってんだよ!
わかるよ! ぼくも高校時代爆発しろとか言っておきながらクラスの女の子のスカート丈見逃さなかったからね!
そんなもんです。

この映画のパーティー文化の扱いがまた、胃に悪い。
日本でいうところの合コン的なものなんだと思いますが、ぼくがあのアメリカンハイスクールの生徒だったら、死んでも行きたくない場所だわー。いたたまれない。
そもそもパーティーの様子を撮っているのはアンドリュー。つまりアンドリューの目線。
パーティーに行きたくない奴が、行きたくなかったパーティーの撮影をして面白いわけがない。ものっそい気分悪いです。

これが、途中から二人の友人ができて、3人になる。そうするとアンドリューは超能力でカメラを固定して、3人の悪ふざけをカメラに収めるようになります。
少し、一人称から離れ、客観的に自分が映るようになります。この撮り方の時は、ハッピーな場面の連続。
3人で浮かれ気分になって、雑魚寝して寝ている時、いとこがある言葉をつぶやくのです。
それを上から撮るシーンは本当にいい。いとこの言ったセリフをアンドリューもかみしめている瞬間で、世界の映し方がちょっと広い。

しかし浮かれすぎてパーティーで羽目を外し始めてから、いとこがカメラを回したり、他の人のカメラに視点が移ったりとちょっとずつズレはじめます。
アンドリューは自分を撮影しながら、心がどんどん捻くれていくのですが、実際彼の映している場所は広いはずなんです。なのに全然広さを感じない。むしろ世界中から見られていて味方が誰もいないようにすら見えます。そういうふうにあいつが撮影してるからなんだけど。

一方、他のカメラが一斉に動き始めてからは、アンドリューのカメラは撮影しなくなります。
そうすると彼の狭窄していた視野が、いかに狂っていたのかを第三者視点で映し出します。
規模がいかにでかいか、起きていることがヤバいかが、特にいとこの目を通して見え始めます。
とみさわさんが「映画の中で超能力を得るのは男子3人だけど、これは本来1人なのだと考えていいと思う」と書いているとおり。
その3つの視点を、カメラで使い分けている。徹底して最初から最後まで、カメラ。

すごい怒りを感じた時とか、ノイローゼ気味になっている時って、「完全にそこにはまりこんで何も見えなくなる」時と、「怒ったり落ち込んだりしている自分がいるなーとなんとなく感じてわかっている」時の二つがあると思うんです。個人差はあり。
後者は具体的に言うと、カラオケとかでなんか気分が乗らず隅っこで押し黙っている自分がいて、「ああ、オレ黙っているなあ」と背後霊になって上から眺めている感じ。まさにこの映画のカメラの役目そのもの。
序盤自分で撮影しながら視野狭窄に陥っている彼の姿は、本気であいつ自分の苦しみしか見えていないどん底な状態。中盤から後半、第三者のカメラがわけわからなくなっているアンドリューの姿を撮っているのは、狂乱している自分と、それじゃあかんのだよなというもう一つの自分のごっちゃになった状態。

だって、あいつあんな能力持ってんなら、もっとガンガンやれよ!って思っちゃったもの。
おちょくってくる相手に対してあることをするんだけど、もっと出来るはずなんですよ。殺すのはヤバくても、もっと色々さあ。
でもしないのは、やっぱりあいつがいいやつで、ダークサイドに心が落ちていても、どこかしら純粋な子供なところがあるからなんだよなあ、お母さんのこととか……なんて考えると、後半の展開が哀しくて仕方ない。
『AKIRA』の鉄雄になれればまだよかったのに(よくないけど)、あいつは鉄雄になれないんだよ。

もう一度話はアンドリューの部屋に戻ります。
彼が能力を使うと、周囲から力が集まるように波みたいな力の動きがあり、それが一点に集中して強烈なパワーに変わります。この映像はすごいので見てほしい。
アンドリューが部屋で蜘蛛を殺すシーンが素晴らしくいい。
一気にいかないのね。じわじわと、ほんとじわじわと。そして、破裂する。
これが「一線を超える」感覚。

ここで、お前部屋で何やってんだよ、って言ってくれるよい大人がいればよかったけど、いなかった。悪い大人、少なくともアンドリューが嫌っているオヤジしか出てこない。
しかもそのオヤジ飲んだくれて、理不尽なことばっかりいって、殴って、もうめちゃくちゃ。プライバシーもへったくれもあったもんじゃない状態。
彼の家は一般的な家庭だとは思いますが、映像化された時の居心地の悪さと狭苦しさといったらないです。

もし日本でこの映画を取るとしたら、舞台は団地、絶対団地がいい。
『AKIRA』よりも『童夢』だと思うんですよ。確かにアンドリューの鉄雄っぷりはすごいけど、視野が狭くて苦しくなっていく感じ、ホントは逃げる場所あるんだけど逃げられない錯覚に陥る感じ。
団地が閉塞化し、世界がそこで完結してしまっている恐怖で、中二病という言葉で抑えきれない妄想に襲われる感触。
ふと、団地の廊下に自殺防止用の柵があるのに気がついて、ぞくっとするあの感じ。
団地を高校生男子が歩きまわってカメラ回しながら小突かれている様子とか、想像するだけでゾワゾワする。

あいつの部屋に、旅行先や自分でとったスナップショットがたくさん飾ってあったら。
あるいはマーベルコミックの表紙やジャパニメーションのポスターが貼られていたら。
せめて、女の子のヌードグラビアでもこっそり隠せるくらいだったら。
いや、無かった話をするのはやめよう。
あいつの部屋に貼ってあるのは、自分で描いた下手くそなヒーローの模写だ。

そういう映画です。
短い期間、あまり多くない劇場でしか上映されていませんが、なんとか見て欲しい。見てください。
トレーラー見て「すっげー!」って言える人は予備知識なしに見に行ったほうがいいです。
トレーラー見ていやな気分になった人は、ちょっと下調べしてから覚悟して見に行ったほうがいいです。

http://www.youtube.com/watch?v=StX8ww4AmtI

(たまごまご)