福岡ソフトバンクホークス斉藤和巳氏はこのほど、ヤフオクドームを訪れ、王貞治会長らに退団のあいさつを行った。

 王会長から、「自分のやりたいことを見つけ、頑張れ」とのエールを受けた斉藤氏は、「まずはゴルフとペン習字を学びたい。これからの自分へ役立つこと。誰かいい先生がいれば、紹介してください」と話していた。

 プロ野球選手は、現役を引退してからの人生の方が長い。一生を野球に捧げるのもいいが、野球とは異なる分野に生きがいや趣味を見出すのも、悪くは無い。

 南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)や西鉄ライオンズ(埼玉西武ライオンズ)でプレーした内野手、山本秀一氏も、そんな元プロ野球選手の一人。現在は、雷山陶秀の名で、陶芸家として活躍している。

 山本氏は1960年に、ホークスに入団。当初は「長嶋2世」と、呼ばれていた。その後、1962年オフに鶴岡一人ホークス監督と中西太ライオンズ監督との友情トレードで、ライオンズに移籍。ライオンズに骨を埋めるつもりで、新婚の夫人とともに新天地に移った。
 だが、ライオンズでの2年目に腰痛を患った。肘を痛めていた投手の畑隆幸氏とともに整体師に通ったが、腰痛は癒えず、1968年シーズンを最後にユニフォームを脱いだ。
 9年間の現役生活で、380試合に出場。打率.183、本塁打2本15打点という成績だった。

 山本氏はその後、飲食店経営を経て、陶芸の道に進んだ。当初は、元プロ野球選手ということで注目が集まったが、それに甘んじることなく、修行に励んだ。
 そして、1973年に九州山口陶磁器展に入選。以後、数々の賞を受賞し、1985年には日本美術展覧会、通称日展に入選した。

 日展とは、公益社団法人日展が主催する美術展覧会。日本画、西洋画、彫刻、美術工芸、書の5部門で入賞が決まる。第1回は1907年と歴史も長く、山本氏は「日展に入選するということは、プロ野球のオールスターゲームに出るようなもの」と言う。

 「長嶋2世」の前評判も空しく、平凡な成績でプロ野球選手としてのキャリアを終えた山本氏。だが、陶芸家・雷山陶秀としては、見事、陶芸界のオールスターの仲間入りを果たした。

 繰り返すが、プロ野球選手は、現役を退いてからの人生の方が長い。そして、引退後の人生の方が、光り輝くこともあるのだ。