高敞南小学校の「イングリッシュセンター」と呼ばれる施設。病院や空港のセキュリティーチェック、航空機のキャビンなどを模した空間がある。

写真拡大

■大学進学率80パーセント

韓国の教育熱がすさまじい。そんな話を聞いたことがある方も多いだろう。特徴的なのは、母子二人三脚の度合いが、日本に比べて圧倒的に高い点だ。

韓国の子供たちにとっては、名門大学を目指す子でなくても塾の掛け持ちなど当たり前。まるでお抱え運転手のようにその送り迎えをするのは、彼らのママたちだ。
 入学試験の日にもなると、あちこちでパトカーがサイレンを鳴らしながら、“受験生さま”を乗せた車を先導するのは、もはや風物詩。仮に遅刻でもして不合格になったら、それこそ人生の一大事だからだ。子供を一流大学に入れ、「人生の勝者」にすべく、韓国のママたちはすべてを捧げる。
 この教育熱、今や都会だけのものではなく、地方にも波及してきている。さらに言えば、超難関大学を目指す一部の生徒だけのものではなく、ほとんどの子供たちがのみ込まれている(ちなみに韓国の大学進学率は約80%だ)。また、低年齢化も進んでいる。

今回は、「地方の」「公立の」「小学校」という最もベーシックな教育機関での英語教育熱が、日本と比べてどれほどすごいかをリポートする。
 「中央に追いつけ、追い越せ」を合言葉に頑張ってはいても、ソウルと比べるとレベルはまだまだといわれているが、それでも日本より10年も20年も進んでいる実情に、きっと戦慄を覚えるはずだ。

訪れたのはソウルから西海岸に沿って300キロメートル南下した全羅北道(チョルラプクド)・高敞(コチャン)郡(人口約6万人)の中心地域にある高敞南(コチャンナム)小学校(韓国では「初等学校」と表記)。
 この小学校は全校児童300人。録音された音声教材を通常速度の2倍速で流して聞き取らせる「速聴教育」など、児童の語学能力向上のために、意欲的な取り組みを独自に行っている。

韓国の小学校で英語教育が取り入れられたのは1997年。指導要領によって、3年生から学校で週2回、5年生からは週3回の英語授業を行うことが定められている。

まずは5年生の教室を覗いてみる。といっても、英語の授業は自分たちの教室では行われない。学校内に「イングリッシュセンター」と呼ばれる場所があって、児童たちは音楽や図工の授業と同様、移動して授業を受ける。この「イングリッシュセンター」には、飛行機の中や空港施設、そして欧米のショッピングセンター、スーパーマーケット、カフェ、病院を模した施設がある。実際に海外に行った状況をシミュレーションしながら、会話を学べるように、だ。

英語授業専用の施設が地方の小学校に次々と造られていて、この学校では2007年に整った。郡の教育支援庁(日本の教育委員会にあたる)の英語教育担当者によると、こうした施設はむしろソウルの公立校よりも、地方のほうが充実しているそうだ。

■いつも英語教師が2人

高敞南小の英語授業は、先生が2人態勢だ。1人は英語教育での修士号を持つ韓国人の梁(ヤン)先生。音楽や図工のように、その教科だけを担任する英語専門の先生だ。学級担任の先生が教えることがほとんどの日本よりも、特別な技術を持つ教科担任が教える韓国のほうが、より充実した英語教育が行えるのは間違いない。

そしてもう1人は、アメリカ・ミネソタ州出身のエリス(Elyse Lacosse Walsh)先生。教育支援庁が契約した英語のネイティブスピーカーだ。
 こちらは必ずしも英語学を専攻した人や英語教師の経験者ではないが、大卒以上がほとんどだ。若者もいれば、英語を教えながら老後をアジアで過ごすことに決めた定年後の夫婦もいる。アメリカやニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ共和国などから1〜2年契約でやってくる。

過疎地の学校では限られた期間だけの派遣になることもあるが、全校児童300人規模の高敞南小なら、常時、英語専門の先生がいて、ネイティブスピーカーがサポートするのが一般的だ。

まず梁先生が、その日の授業の大まかな内容、理解すべき表現などを児童に説明する。できるだけ英語のみで授業を進めたいと先生は考えているが、この部分では韓国語が用いられることが多い。
 その後、授業の主導権はエリス先生に渡される。そこからの進行はすべて英語。韓国語で発言する児童がいると、エリス先生から、強く「No! English!」と注意される。

小3からこのような授業を受けてきた彼らには、とくに難しいこともないようだが、もし児童が理解できていない様子が見えると、梁先生が韓国語でフォローする。韓国人教師とネイティブ教師、お互いの長所を生かした英語授業が行われていた。

■あっという間の40分レッスン

授業ではリスニングとスピーキングを重要視している。この日、習っていたのは「Would you like some ○○?(○○はいかがですか?)」というフレーズだった。まずはエリス先生の発音をそのままリピート。そして、隣の児童とロールプレーイング。2人の教師は子供たちの間を回っていきながら、子供たちの発音や文法をチェック。あっという間の40分だ。

梁先生とエリス先生のコンビによる6年生の授業を覗くと、もっとレベルが高かった。教材はシェル・シルヴァスタインの絵本『おおきな木』。まずはコンピュータ教材の音声に従って子供たちがテキストを読む。発音がおかしいと、エリス先生が注意する。そして、本文に出てきた英単語、always・become・poorなどをホワイトボードに書き出し、その意味を聞いていく。

「poor」の意味を「No money!」と答えた児童をほめた。「become」を正しく答えた児童がいなかったので、ホワイトボードに絵を描いて説明する。少女とおばさんの絵を描いて、絵の間に矢印を入れる。矢印方向の変化で「become」の意味が伝わる。英語だけでどんどん授業が進んでいった。
 エリス先生は単語だけでなく、物語の内容に関しても、子供たちに英語で質問する。「主人公は誰?」「何を売ったの?」「そのあとどうなったの?」「この主人公は木を愛しているの?」「木は主人公を愛しているの?」。数人の優等生だけでなく、何人もの児童が、エリス先生の質問をしっかり理解して返答している。

さらに、このストーリーに関する自分の考えを自由に書かせる。2人の先生は児童の間を巡回して、英文作りの過程を見守る。「Rise your hand!」という合図で、数人の児童が「待ってました!」とばかりに勢いよく挙手した。

返答は「The boy is bad」「The tree is nice」のような単純なものであるが、そのあとに「because」をつなげて何とか自分の考えを説明しようする積極的な態度が見える。とにもかくにも、実際に英語を口にすることが重視されていた。

■これだけある無料の英語イベント

高敞南小では放課後にも、任意だが、各学年週3時間の英語の課外授業が行われている。費用は自治体が負担するので、追加の授業料を支払う必要がないこともあり、ほぼ全員が参加する。

夏休みや冬休みなど、長期の休暇期間にも、任意参加の英語の特別授業が用意されることが多い。時間や期間は学校によってまちまちだが、高敞南小の「冬休み英語キャンプ」の場合、毎日1時間の授業が4週間受けられる。気になる費用のほうは、これも地方の場合は、教育庁からの支援を受けて無料で行われることが多い。家庭の負担金があったとしても、一般の塾よりも断然安い。

英語に関する学校行事もある。年に1度の英語フェスティバルでは、児童による英語ミュージカル、英語劇が上演され、英語の本の暗記を競う大会が開催される。優秀者は学外の大会に出場できる。
 また、郡内の小3以上の児童と中学生は1年に1回、郡が運営する英語体験センターに2、3日間通う。
 20〜30人のクラス単位で参加するのだが、3人のネイティブスピーカーが常駐していて、午前9時から午後3時まで(小3、小4は午後2時まで)、たっぷり生きた英語に触れることができる。英語の補習を希望する子供たちも、ここで受け入れている。これも、費用はかからない。

ただ、こういった公のサービスではしばしば資格保持者ではないネイティブスピーカーが講師を務める。こういった講師との会話は、「体験としてはいいが、教育効果に疑問がある」と考える親が多い。一方、海外育ちの英語学者などが主宰する英語塾が人気を集めている。

高敞南小の前にも低学年の授業が終わる午後3時ごろ、英語塾のお迎えのワゴン車がやってきて、子供たちをドア・ツー・ドアで運ぶ。その1時間後、今度は高学年の子供たちをワゴン車が待ち受ける。さらにその1時間後、運転手はワゴン車を中学校前に横づけする。

■選ばれたら小6でカナダ留学

郡出身の経営者が出資する小6対象の英語奨学金も存在する。あらかじめ選抜された英語の成績優秀者を、英語の読解能力と面接で選考して対象者を決定するそうだ。また、小5から中3までを対象にした「グローバル海外研修プログラム」という短期留学システムもある。

これは郡より一段階大きい地方自治体である全羅北道が毎年実施しているもので、成績優秀者を約8週間、カナダ、オーストラリアなどに送って、現地で英語を学ばせるとともに、見聞を広めさせている。選ばれれば、渡航費と教育費の個人負担額は総額の20〜30%程度で済むため、希望者が多い。

今年、高敞南小からは6年生の男子が2人選ばれてカナダ留学を体験してきた。そのうちの1人である鄭經憲(チョンギョンホン)君は自分から「行かせてほしい」と親に頼んだそうだ。実際に参加したところ、8週間の授業は、変化に富んだ楽しいもので、もちろん、すべて英語で行われたという。講師が言うことはほぼ理解でき、特別困ったことも授業についていけないこともなく、どっぷり英語に漬かれて満足だったらしい。

「来年も別の地域に行かせてほしい」と親に頼んでいるという。将来は何になりたいのかという質問に、「コンピュータが好き。それなら英語を使うことも多いし」と笑って答えた。

■強烈な競争社会の縮図

小学校からの英語教育が始まって16年。成果は確実に上がっている。

かつて「英語が苦手な国民」といわれていた韓国人。だが、2011年のTOEIC韓国人受験者の平均スコアは633点。日本人の平均スコアは573.7点(12年11月)だ。受験者数は日本とほぼ同数。人口は約半分だから、受験率2倍ということになる。

韓国では、大学の教員や大手企業のトップエリートになるには、米英の一流大学で博士号を取得するのが当たり前。韓国語と英語に加えて、日本語や中国語もすらすらと話せるトリリンガルも少なくない。国を背負い、国際社会で活躍するエリートづくりは、小学生のうちから始まっているのだ。

ただ、韓国の英語教育がすべてうまくいっているわけではない。高敞南小の6年生のクラスの中で、ネイティブ教師の発言を理解し、積極的に授業に参加していたのはせいぜい全体の3分の1程度だった。教師が何を言っているのかよくわからないという顔で、ボンヤリと参加し、質問にもうまく答えられない児童もほぼ同数いた。残りの児童はその中間といった感じだ。

梁先生に「英語塾や家庭教師を使って勉強している児童の割合」を聞いてみた。この学校の場合、3年生で3分の1、高学年になるとクラスの3分の2に増えるそうだ。ネイティブの先生の言葉が理解できない児童の数と、学校外で英語を勉強していない児童の数がほぼ一致するのは偶然ではないだろう。

クラスの3分の1の児童はついてきているので、英語による授業はそのまま進められる。できる子は引き上げられ、できない子は切り捨てられる。これは「強烈な競争社会・韓国」の縮図でもある。

日本の公立小学校の現状と比較すると、10年、20年先を行っている韓国の地方公立小学校の英語教育だが、ソウルの教育レベルの質量はさらに上だ。海外で英語教育学の博士号を取った人たちなどが最新の教育理論をもとに新たに開設した私塾が次々に生まれ、他塾と生徒を奪い合っている。教育熱心なママたちも、よりよい英語塾に関する情報収集は欠かさない。ソウルの状況については、またいずれリポートしよう。

熱すぎる英語教育熱による多くの弊害を知りながらも、流れは止まらない。日本人が「早期英語教育の是非」についてもめているすきに、お隣の国はずいぶん先まで進んでしまっていたようだ。

(中村恵実子=文 李秉烈=撮影 白名伊代(海外書き人クラブ)=編集協力)