MFクラレンス・セードルフがミラン退団を明らかにした。2002年、26歳のときにミランに移籍した同選手は、アヤックス、レアル・マドリー、インテル、サンプドリアに在籍し、その素晴らしいキャリアにおいてチャンピオンズリーグ(CL)4度優勝を誇る選手だ。

セードルフが初めてミランの選手としてボールに触れたのは、02年8月14日のチャンピオンズリーグ予選、スロバン・リベレツ戦の後半だ。そこからミランはマンチェスターでのユヴェントスとのファイナルまで進み、大会を制覇。さらに、数々の成功を収めてきた。

アドリアーノ・ガッリアーニ代表取締役は会見で、「実際には、クラレンスが勝ったCLは4回半なんだ」と語った。レアルに在籍していた2000年、冬のマーケットでインテルに移籍したからである。ガッリアーニ代表取締役は次のように続けた。

「素晴らしいキャリアだ。世界のトップだよ。左インサイドハーフと、カルレット(カルロ・アンチェロッティ)の下でカカーとの2シャドーという、2つのポジションでスーパーな選手だった。彼について特に覚えているのは、バイエルンとのミュンヘンでの試合だ。ピッポ(フィリッポ・インザーギ)へのアシストと、自分でゴールを決めた試合だね」

「我々は彼と素晴らしい5年間を過ごした。ユーヴェとのCLファイナルから、07年12月のクラブ・ワールドカップまでだ。我々がクラブレベルでの世界王者となったときだよ」

セードルフ自身は次のように話している。

「全員に感謝する。すごい感動だ。将来? 近く知らせるよ。時間をかけているところだ。たくさんのオファーを受け取った。10年前にミランへ移籍したとき以上だ。でも、お金のためでは動かない。刺激となるプロジェクトがないとね」

『フランス・プレス』によると、セードルフはすでにブラジルのボタフォゴと合意しているという。近いうちに獲得が正式発表されるとされている。同選手は次のように続けた。

「世界から消えるわけではない。永遠の別れではないんだ。これは、ミランと『また会いましょう』とあいさつするときなんだよ。僕は、少しずつ本来の素晴らしいレベルに戻っていくチームを去る。でも、ミランはずっとイタリアで、そして欧州で競争力のあるチームであるだろう。最高レベルを維持するための大きなサポートこそ、ミランのDNAだ」


「素晴らしい10年間だった。濃密で、時間が経つのが早かった。素晴らしいことというのは、すぐに過ぎ去っていくからだ。サポーターに感謝している。堂々とあいさつをしたい。ミラノで2人の子供を授けさせてくれたイタリアにも感謝している」

「僕は、3つの場面を思い出に去る。一つは、僕の家だったミラネッロ。そして、07年のCL準決勝ミラン対マンチェスター・ユナイテッド戦(完璧な3−0での勝利)だ。信じられないエネルギーにあふれ、団結したサン・シーロは、見たことのないものだった。そして、全盛期のミランだ」

背番号10? ガッリアーニ代表取締役は、ズラタン・イブラヒモビッチのものになると話した。セードルフは「僕が10番を求めたことはない。(マヌエル・)ルイ・コスタから受け継いだ10番だ。でも、ズラタンには『君が着るならうれしい』と言ったよ。彼はそれにふさわしい」とつけ加えている。

ガッリアーニ代表取締役は次のように続けた。

「彼がどれほど強い選手か、天才じゃなくても理解できた。(パトリック・)クライフェルトもいた、あの素晴らしいアヤックスで、私は彼にほれたんだ。今、彼はなんでもできると思う。大変なクオリティーを持つ人物で、引退したときには、指揮官でもディレクターでも、うまくやれるだろう」

「クラレンスはミランで公式戦432試合を戦った。1シーズンあたり43.2試合というところだ。ゴール数は62。常に良いプレーをしてきた。ミランで最も多くプレーした外国人選手だ。彼のすべてが恋しくなるだろう。彼はすべてにおいてフオリクラッセだからね。ピッチでも、ドレッシングルームでも、クラブ内部でも、その不在を感じるはずだ。だが、我々は前進しなければいけない。彼と、我々のユニフォームを着たカンピオーネたちに敬意を表するために」