米メジャーリーグの春季キャンプで、球場で赤ちゃんが生まれるという前代未聞の事件が起きた。

 事件が起きたのは、現地時間で28日。ピッツバーグ・パイレーツがオープン戦を行うフロリダ州ブラデントンの球場で、妊娠8カ月半のラティーシャ・カークさんが突如産気付いた。
 救急車の到着を待ったが、「もう生まれちゃう!」と叫ぶと球場職員がタオルなどを用意。パイレーツのフロリダ地区担当部長、トレバー・グービー氏が屋根のある通路上に寝かせ、赤ちゃんを取り上げた。出産後に母子は病院に搬送され、ともに健康が確認された。
 自分の子供が生まれた時のことを思い出しながらサポートしたというグービー氏は、「10分か15分しか時間がなかったよ」とコメント。病院を見舞いに訪れた際には球団のグッズ、子供用の服やおむつなどをプレゼントし、「彼を無料で(ルーキーリーグの)ファンクラブの終身名誉会員にするよ」と笑顔で話した。
 なお、球場で生まれた男の子は、球場名と同じの「マッケクニー」と名付けられるという。

 実に当ブログが好みそうな事件だ。読者の方々も、このニュースを見たとき、「ははん。今日は、このネタで来るな」と思ったのではなかろうか。できるだけ、その期待に応えようと思う。

 100年以上の歴史を持つメジャーリーグには、スタンドでの事件にも事欠かない。さすがに今回のように、ファンが球場で出産したケースは聞いたことはないが、大雪の中の開幕戦でファンが雪合戦を始めたり試合中にマフィアたちが銃で選手を援護したりストリーキングやクィーンがつまらない試合を盛り上げたりと、いちいち紹介していてはきりがない。
 わが国でも、ストリーキングや、ネットによじ登るスパイダーマンが登場したことがあったが、過去には外野席で流しソーメンをやった球場があった。そう、川崎球場だ。

 川崎球場は1951年に開場、高橋ユニオンズ大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)、ロッテオリオンズ(千葉ロッテマリーンズ)が本拠地にしていたが、とにかくファンが集まらないことで有名。1983〜2005年に年2回、フジテレビ系列で放送されていた「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」では、球界の過疎地のような扱いを受けていた。(超満員の後楽園球場を映したのち、「そのとき川崎球場では・・・」とのナレーションが懐かしい)
 先に紹介した流しソーメン事件も、ファンが集まらない川崎球場ならでは。ほかにも、「スタンドでキャッチボールができた」「外野席で人が死んでいても、1週間は気付かれない」とまで言われた。殺人事件が1週間も放置されるというのは大げさだが、JR大森駅のチケットセンターでオリオンズ対南海ホークス(福岡ソフトバンクホークス)戦のチケット200枚が盗まれた際には、球団職員は本当に1週間気が付かなかった

 川崎球場にまつわるエピソードには、本当に事欠かない。川崎駅からタクシーで球場に向かえば、タクシーの運転手が「今日は何かあるんですか?」と聞いてくる。球場前の駐車場は、隣の川崎競輪場で競輪が行われるときに満車になる。オリオンズでサードを守っていた有藤通世が、「最近の有藤さん、愛想悪くなったね」との女性ファン同士の会話に、「そんなことないよ」と手を振って応える。客の少ないことをいいことに、ファンも利用する球場コンコースでは選手がユニフォーム姿のままラーメンをすする。
 あまりの集客の悪さに、オリオンズは「テレビじゃ見れない川崎劇場」を謳い文句にキャンペーンを展開したほどだ。

 ファンが集まらないから球場施設が古いのか、球場施設が古いからファンが集まらないのか。とにかく、施設も酷かった
 スタンドからの眺めは良好。全体的に死角が無く、後楽園球場よりも300ルクスも明るい照明に緑の芝が映えていたのだが、水はけは悪かった。ざっと雨が降れば、試合は中止。ネット裏の記者席まで浸水し、翌日まで泥水が残った。
 ロッカールームも湿っぽく、マッサージ室ではアスベストが落ちてきた。エースの村田兆治もマッサージを受けている中、あわや大惨事に巻き込まれるところだった。
 スコアボードのボールカウント表示装置は、すでに製造中止になっており、故障を恐れて取り扱い注意。スタンドの指定席も回転する独特の構造で、初めて球場を訪れるファンを困惑させた。球場内のトイレは、あまりの古さから、戦時中の少年院を舞台にした映画のロケにも使われた。

 そんな川崎球場が、よもやの注目を集めたのが、1988年10月19日。パリーグの優勝がかかったオリオンズ対近鉄バファローズ戦、いわゆる「10.19」だ。周辺には、球場に入りきれなかったファンが人だかりを作った。
 だが、これは球団職員が目測を誤ったため。この日はオリオンズとバファローズのダブルヘッダーだったのだが、バファローズは初戦に勝利しないと優勝はない。しかも平日の試合で、オリオンズの球団職員も、まさかこの川崎球場にファンが集まるはずがないと、高を括っていた。
 だが、バファローズが初戦に勝利すると、シーズン開始前にばらまいていた1年間有効の内野自由席券を持ったファンが押しかけてきた。これに慌てた職員は、スタンドが満員になる前に入場制限をしてしまったというのが、真相だ。

 そんな川崎球場も、2000年3月26日に行われた横浜ベイスターズ千葉ロッテマリーンズのオープン戦を最後に、プロ野球での役目を終えた。
 「川崎球場ファイナルシーン」と銘打たれたこの1戦には、2万1,000人ものファンが集まり、試合終了後の閉場セレモニーでは、市民がフィールド上で「ありがとう」の人文字を造ったという。

 わが国の球場にも、メジャーリーグに負けないエピソードがある・・・と閉めたいところだが、川崎球場での最終戦のスコアは、22対6。川崎球場らしいといえば、らしい。

参考)佐野正幸著「昭和プロ野球を彩った『球場』物語」 (宝島SUGOI文庫)