青山隼:新天地での戦い

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 2007年6月のFIFA U-20ワールドカップ2007で、不動のボランチとして活躍した青山。労を惜しまない守備だけではなく、中盤の底で攻撃の起点となった彼は、日本の決勝トーナメント進出に貢献した。

 日本サッカーの次代を担う彼にとって、2008年は苦しい1年となった。出場機会を求めて、5月に名古屋グランパスからJ2のセレッソ大阪へとレンタル移籍。だが、新天地では不動のレギュラーに定着しきれずにシーズンを終えることになった。大きなハードルが立ちはだかった1年を本人に振り返ってもらった。


――08年シーズンは、移籍もありました。自分自身、どんな1年だったと振り返ってますか?

青山隼(以下・青山):すごく考えされられたシーズン、ですね。

――というと?

青山:なんというか、セレッソに移籍して、チームのやり方とかにうまく適応できなかったというか。自分の持ち味を出したいと思う一方で、そのやり方だと監督に評価されなかったり。ディフェンダーとして、ブラジル人選手とポジションを争うような形になったんですけど、やはり監督の信頼を勝ち取るまでにはいかなかった。そのバランスがとても難しいというのを思い知らされましたし、考えさせられたシーズンでしたね。

――不完全燃焼だった。

青山:やっぱりブラジル人選手が2人いて、そのなかに入った形なので、また2人とも調子良かったので、累積警告で出場停止のときとかに、やっと出場できる状態でしたから。で、自分なりに良いプレーをしたかなと思っても、次の試合では外されたり。当然、監督の考えるサッカーにあわせなきゃいけないとは思います。ただ、あわせすぎてしまうと、自分自身の持ち味も消える。なので、その折り合いをどうつけるかという部分が難しかった。考えましたね。「なんでなんだ」みたいに思ってしまう時期もあったので、そういうのも含め、考えさせられました。

――あわせたうえで、自分のカラーが出せるのが理想ですよね。

青山:そうですね。それが、出来なかった。自分でこれなら評価されるかなと思ってプレーしたものが、逆に注意されたりということが多かったですね。

――シーズン途中での移籍という難しさはなかったですか?

青山:いや、もちろん戸惑うことが何もないわけではなかったですけど、すんなり入れましたね。ちょっとコンディションとか、J1とJ2でスケジュール上の違いもあるので、最初は難しかったですが、慣れました。ケガとかもほとんどなかったですし、そういう面では、きっちりできた年かなと思ってます。

――スケジュールもそうですが、環境はかなり違いますよね。

青山:はい。名古屋と大阪で地域も違いますし、チームメイトも違いますし。なので、最初は気を遣う部分はありましたけどね。

――青山選手自身は、これから具体的にどんなプレーヤーになりたいと?

青山:そうですねー、具体例でいうと、明神さん(ガンバ大阪)とか、理想のプレースタイルですね。攻撃と守備でいえば、守備が持ち味なので、中盤で相手の攻撃の芽を摘み、味方のサポートをしつつ、チャンスとあれば、きっちり攻撃に絡む。そういうスタイルでレベルアップしたいです。

――ワールドユースの経験もありますし、いずれはA代表も視野に?

青山:もちろん、そこまでたどり着きたいです。ただ、いまは所属チームでもしっかり出場できていない状態ですから。まず、所属チームできっちりやることが、先ですからね。

――09年の目標は?

青山:08年が不完全燃焼だったので、まずは試合にコンスタントに出て、監督に必要とされ、自分らしいプレーもつきつめていきたい。自分なりに思い悩んだ部分も、良い経験だったと思っているので、それをきっちり生かしたいと思ってます。

(取材・構成/livedoor スポーツ)

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