「YouTubeで見るママさんは家事・育児を両立しているのに…」「授乳がうまくいかない…」4か月の赤ちゃんを風呂に沈めた40代母親、法廷で明かされた「重度の産後うつ」の内容
「お腹をなでて、歌って話しかけながら過ごしていた」──。一点の曇りもない多幸感につつまれ、妊娠期間を過ごしていた1人の女性。しかしいざ出産し、育児に取り組み始めると日毎に心身の均衡が崩れていった。
埼玉県の自宅で生後4か月の長男を浴槽に沈めて殺害したとして、殺人罪に問われた40代女性・Xさんの裁判員裁判が7月22日に開かれた。さいたま地裁の品川しのぶ裁判長は、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。
最大の争点は「責任能力の有無」。事件当時、Xさんは重度の産後うつ状態にあった。検察側は「責任能力の低下は限定的」として懲役4年を求刑し、弁護側は「心神喪失状態にあった」として無罪を主張していた。
公判では、Xさんの供述を中心に、客観的証拠や証人出廷したXさんの父親、夫の供述により、Xさんの心情に迫っていった。
なぜ悲劇は止められなかったのか──。社会的に認知度が低いとされる「産後うつ」。個人の資質や家庭内の問題に帰結させるのではなく、社会全体で防ぎ、救うべき課題として知るために、彼女がいかに追い詰められていったのかを傍聴を行った裁判ライターの普通氏が詳報する。【全4回の第2回。第1回から読む】
夫も泊まり込みでサポート
平成31年に結婚したXさんは、早々に妊娠がわかった。「親に孫を見せられる」と嬉しく思った。しかし、その子は流産してしまう。Aくんを授かった2度目の妊娠では、生活習慣を改善し、職場の配置転換も受けるなど万全を期した。
出産直前には東北地方の実家に帰省。家事は母親に任せてリラックスし、出産のときを待った。弁護人からの質問に対し「(Aくんには)素直で、明るく、元気な子に育って欲しいと願っていた」「お腹をなでて、歌って話しかけながら過ごしていた」と答え、育児への不安などはなかったと振り返る。後の悲劇を知る法廷にとって、期待に胸膨らませていたこの時期のエピソードは切なく響いた。
無事に出産し、育児への充実した気持ちに満ちていたというXさん。退院後も実家で育児に専念し、年末だったこともあり、仕事納めを迎えた夫も実家に泊まり込みでサポートした。父親も夫も、育児生活は順調だと感じていた育児生活。しかし、この時すでにXさんの心には「辛さ」が芽生え始めていた。
授乳がうまくいかず…
家族に支えられながらの育児生活だったが、Xさんは徐々に「大変」と感じるようになっていく。まずは睡眠不足だ。当時の睡眠時間は3時間ほどだったが、それ以上に「いつ(子供が)起きるか」と気になってしまい、浅い眠りが続いた。また、乳首の形状から授乳がうまくいかなかった。それが「Aくんに拒絶されている」ように感じ、ショックを受けたという。
弁護人「このとき育児が辛いと思ってました?」
Xさん「思っていませんでした」
弁護人「では、育児への不安は?」
Xさん「それはありました。でも、これといって何がというのではなく、ちゃんとしないとAが変に育ってしまうというか」
周囲も疲労の色には気づいていた。しかし、「育児中の疲れ」として深くは気に留めず、Xさんの育児がうまくいっていないと疑うものは誰もいなかった。
メンタルチェックのスコアは「13点」
Aくんの1か月検診に合わせ、XさんはEPDS(エジンバラ産後うつ病質問票)というメンタルのチェックを受けた。9点以上で産後うつの可能性が高いと判断されるが、結果は13点。この数値は検査のたびに上昇していくが、当時は直接医療へ繋ぐ仕組みがなく、Xさん本人も夫も数値の把握すらしていなかった。
出産から約2か月後、希望する保育園へ入園させるため、埼玉の自宅へ戻る。両親は実家でのサポートを続ける意向だったが、本人の意思を尊重した。
「やる気満々」で自宅に戻ったXさんだったが、わずか1週間で気持ちは急降下する。家事が加わり、育児との両立ができなかったのだ。特に「夫に毎日手料理で迎えたいのに、作れないこと」が重くのしかかった。
弁護人「料理はなぜできなかったのでしょうか」
Xさん「子どもが気になりキッチンに立てず」
弁護人「なぜ子どもを気にしていたんですか」
Xさん「目をかけないと大人しい子になってしまう。大人しく育つといじめられるのではないかと思って」
弁護人「旦那さんは手料理にして欲しいとか意見を言ってきたんですか」
Xさん「いいえ」
弁護人「では、なぜ作れないのが辛いと」
Xさん「YouTubeで見るママさんは、育児、家事と両立してて。それが私にはできなくて落ち込みました」
自宅に戻ってからは深刻な睡眠不足に陥り、急な動悸や焦燥感など、心身への悪影響が顕著になる。
「産後ケアまで使ったのに、自分は本当にダメだな」
Aくんは、よく泣いたという。周囲は「赤ちゃんは泣くのが仕事だから」「泣き疲れたら静かになるから」と気に留めなかったが、Xさんは「私の育て方が悪いのでは」と己を責め続けた。どうすればいいか分からず立ちすくみ、この頃にはAくんに笑いかけることすらできなくなっていたという。
「自分はダメな母親だ」
育児の先が見えず、絶望感から「いなくなりたい」と思い詰めるようになる。
夫は育休を取得し、家事・育児の全般を引き受けた。Xさんも気分転換の時間は取れたが、常にAくんのことが気になり、疲れは取れなかったという。
不調を自覚したXさんは、1泊の産後ケアサービスを利用する。一時的に子どもと距離を置き、睡眠をとることで復調し、育児にも前向きになれた。しかし、帰宅して再び「両立できない現実」に直面すると、「産後ケアまで使ったのに、自分は本当にダメだな」とさらに落ち込むようになってしまった。
そして事件から1か月半ほど前の3月5日、Xさんの心の均衡は大きく崩れる。「今日も(育児を)うまくできないんだろうな」という思いを抱きながら目覚めたこの日、向かった先は電車が走る自宅近くの駅だった。
(第3回につづく)
◆取材・文/普通(裁判ライター)
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