【独自】昭和の大女優・小川真由美(享年86)が鹿児島で3月に死去していた 実娘が明かす「毒母」の素顔と空白の晩年
昭和を代表する女優、小川真由美が3月26日、86歳で死去していたことが月刊「文藝春秋」の取材でわかった。娘の小川雅代さんが明かした。
【画像】生まれたばかりの娘・雅代さんを見つめる真由美(本人提供)

昭和の名女優・小川真由美、45歳の頃 ©共同通信社
『復讐するは我にあり』『配達されない三通の手紙』で1980年に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞するなど、数々の映画・ドラマで活躍。今年3月13日に発表された日本アカデミー賞では、映画界への多大な貢献や長年の実績を称える会長功労賞を受賞した小川だが、新旧スターが集結した授賞式には姿を見せていなかった。
それから約2週間後――。鹿児島市内の病院で3月26日の早朝、前日に容体が急変した86歳の小川は、家族が誰ひとり駆けつけることのないまま、息を引き取った。
21歳で文学座第1期研究生になるや、若くして「大女優・杉村春子の後継者」と目され、つねに日の当たる道を歩いてきた小川真由美の晩年は、寂しいものだった。
ひとり娘が明かす、母・真由美と縁を切った理由
「真由美はいわゆる“毒母”でした。ひとり娘の私に対して、餓死する寸前までネグレクトしたかと思えば、手のひらを返して頼ってくる。恋人ができると邪魔者扱いする一方で、恋人と別れると私を手元に置いて優しくしました。つねに大女優として振る舞っているストレスから睡眠薬と躁鬱病の薬が手放せず、付き人は次々に変わっていく。生涯頼りにした宗教や占いも、ひとつに傾倒してはしばらくすると大体揉めて、次の教祖に移っていきました」
娘の雅代さんはこう語る。
小川は1967年に俳優の細川俊之と結婚して雅代さんをもうけるも、数年で細川が家を出る形で破局。その後は、天性の才能とバイタリティで演技に力を注ぐ一方で、母親としては娘を苦しめ続けた。雅代さんは鬱状態に陥り、ついには母親と会うことについてドクターストップがかかるようになり、この10年は絶縁状態になっていた。
奇行の末、家さえも失っていた
そして今年5月、突然かかってきた電話によって、雅代さんは2カ月前に母親が亡くなっていたことを知ったのだという。その後、晩年の母の足取りを辿ることによって明らかになったのは、母が奇行の末、家族や仕事ばかりでなく、家さえも失っていたという衝撃的な事実だった――。
8月10日発売の月刊「文藝春秋」9月号、および8月9日配信の月刊「文藝春秋」の電子版「文藝春秋PLUS」掲載の「毒母・小川真由美は“孤独死”していた」では、ひとり娘の雅代さんの証言を通じて、「占い師のお告げに支配される異常な生活」「俳優・橋爪功との婚約と破局」「自らのベッドシーンを娘に見せる毒母ぶり」から、「女優引退を引き起こした“出家騒動”の顛末」「鹿児島での最期の日々」まで、稀代の名女優の隠された実像に迫っている。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2026年9月号)
