キオクシアの北上工場(岩手)もウエスタンデジタルとの共同生産(提供:キオクシア)

ファンド傘下に入り6年――。NAND型フラッシュメモリー(NAND)世界大手の半導体メーカーであるキオクシアの出口戦略が難航している。10月にも上場する見通しだったが、延期が報道されるなど時期が定まらない。具体的な進捗は不透明なままだ。

2022年後半から長く続いたメモリーの大不況期は過ぎ去り、すでに市況は好転。キオクシアの操業もフル稼働に戻っている。同社が発表した2024年4〜6月期の業績は売上高4285億円、営業利益は1259億円と、30%に迫る営業利益率を記録。四半期ベースではキオクシア設立以来、最高の決算だった。

環境に恵まれ、業績は絶好調。「この機を逃して次の市況のダウンサイクルに入れば、二度と上場できるタイミングはないかもしれない」とすらみる業界関係者も多い。

実際に好況はつかの間で、足元のNAND価格はすでにピークアウトしたという予測もあり、逆風は再び強まり始めている(台湾の調査会社トレンドフォース)。スムーズな上場を阻むものは何なのか。

時価総額1兆円が目安

キオクシアは2017年、不正会計問題などで経営危機に陥った東芝から、虎の子だったメモリー事業を分社化して発足。アメリカの投資ファンドのベインキャピタルを中心に韓国のメモリーメーカー・SKハイニックスも出資する特別目的会社(SPC)が株式の56%を保有する。

つまり、現在のキオクシアは親会社である投資ファンドの「持ち物」である。上場(株式市場での転売)するかしないか、またその時期を決めるのは、あくまで投資ファンドだ。

2018年6月に完了した投資ファンドによるキオクシアの買収金額は2兆円。うち1兆円はファンドの自己資金、残りの1兆円は負債(優先株含む)だった。買収にかかった自己資金が1兆円だったということは、ファンドとしてリターンを得るためには当然、それ以上で転売する必要がある。上場であれば、大まかに言えば「時価総額1兆円」の達成が最低限クリアすべきラインだ。

では問題になるのは、キオクシアの実際の株主価値はこの6年間でどれだけ増えたのか、ということだ。

実際の算定には、将来獲得する見込みのキャッシュフローを現在の価値に換算したDCF(ディスカウントキャッシュフロー)法が使われる。だがこれには複数の仮定が必要となり、計算も複雑だ。

そこで、キオクシアが上場した際の時価総額の大まかな目安になりそうなのは、ライバルメーカーのPBR(株価純資産倍率)やPER(株価収益率)といった株価指標を当てはめることだ。ただ「時価総額が純利益の何倍で評価されているか」の指標であるPERをそのまま当てはめるのは難しい。メモリー業界は市況の波が激しく、純利益のブレ幅が大きすぎるからだ。

そこで一つの目安になりそうなのは、時価総額が純資産の何倍で評価されているのかの指標であるPBRだ。

5年度累計の損益は赤字

メモリー業界は、キオクシアに加えて韓国のサムスン電子とSKハイニックス、アメリカのマイクロン・テクノロジーとウエスタンデジタルの5社寡占市場だ。キオクシア以外の4社は上場しており、足元のPBRは2〜2.5倍。これは、それぞれの企業の時価総額が、純資産の2〜2.5倍の範囲に収まっているということだ。

2024年3月末時点で、キオクシアの純資産は4783億円だった。仮にキオクシアへの株式市場からの評価がライバルと同様の範囲に収まるとすれば、純資産にPBRを掛け合わせて推定した上場時の時価総額は9500億〜1.2兆円程度となる。2024年4〜6月期の純利益を加味しても、1.1兆〜1.3兆円程度だ。

単純計算ではあるものの、2018年に1兆円の値段がついた株主価値は大きく伸びたとは言いづらく、6年という投資期間を考えれば投資ファンドとしては上場してもさほどリターンが出ない状況だ。


あくまで純資産をベースにした試算ではあるものの、株主価値が伸び悩むのは半導体業界特有のジェットコースターのような市況変化も一因だ。

キオクシアは2020年にも上場申請を行い、土壇場で撤回した経緯がある。当時、2020年6月末時点での純資産は7040億円だった。それからコロナ禍での半導体特需を受けて2021年度にかけて大きく稼いだものの、その後の大不況によって、好況期に稼いだ以上の純損失を吐き出す羽目になった。そのため純資産が大きく毀損されてしまったのだ。

AI半導体ブームでDRAM需要が爆発

PBRはその企業に対し、株式市場が抱いている将来の成長期待のバロメーターだ。もちろんキオクシアの将来への期待が競合を上回ったPBRで評価されれば、時価総額はその分高くなる。だが現実的にはそのハードルも高そうだ。

というのもネックになっているのは、キオクシアはNAND事業しか手がけていないということだ。

ライバル企業の多くは、一時記憶にも使われる半導体メモリーのDRAMも手がけており、こちらではAI半導体ブームによって超高性能品の需要が大爆発。大手メーカーはこぞって大増産まっただ中にあり、株式市場からの期待も大きい。

加えてキオクシアは、NANDビジネスでも競合に比べて課題は多い。AI処理を行うデータセンターが急成長しているが、そこではNANDをシステムとして組み上げて高速化したSSD(ソリッド・ステート・ドライブ)が求められている。だがキオクシアは「SSDのビジネスにほとんど入れていない」と、イギリスの調査会社オムディアの杉山和弘コンサルティングディレクターは指摘する。

こうしたキオクシアがライバルを大きくしのぐ成長性への評価を得るのは難しいだろう。

加えて「株主価値が2018年時点から大きく伸びていない」ということは、キオクシアと深い関係にあるウエスタンデジタル(WD)の株価の動きも参考になる。

前述したライバルのNANDメーカー5社の中で、DRAMを手がけていないのはキオクシアとWDの2社だけだ。かつ両社は長らくNAND工場を共同で運営しており、技術レベル・コスト構造ともにほとんど同じ。WDはNANDと併せてHDD事業も手がけてはいるものの、前述のようにDRAMに強烈な追い風が吹いている状況では、競合の中では唯一キオクシアと直接比較できる上場会社だ。

だがキオクシアがファンド傘下となった2018年6月からの株価推移を見れば、WDの独り負けは一目瞭然だ。さらにWDだけが唯一、2018年6月時点の水準に届いていない。超高性能DRAM・HBMで先行したSKハイニックスの株価は2倍以上、出遅れたサムスン電子ですら30%上昇しているのとは対照的だ。


上場が長引くほどリターンは目減り

仮にキオクシアの株主価値がWDのように2018年より目減りしている状況では、投資ファンドにとって今のタイミングでキオクシアを上場させる意味合いは薄い。一方で上場を長引かせれば、1年ごとにリターンは目減りしていくことになる。

キオクシアの早坂伸夫社長は「経営の自由度を上げたい」と“脱ベイン”への思いを周囲に話しているようだ。投資ファンドにとってもキオクシアにとっても、上場までの道のりが長引くことで苦悩は深まる一方だ。

(石阪 友貴 : 東洋経済 記者)