日本が「報復」受けても米国本土は「被害ゼロ」…他国を「戦場」にする米国の残酷すぎる「戦略」!

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知らぬ間に「米国のミサイル基地」と化していた日本

日本にとっての「最悪のシナリオ」とは?

政府による巧妙な「ウソ」とは一体…?

国際情勢が混迷を極める「いま」、知っておきたい日米安全保障の「衝撃の裏側」が、『従属の代償 日米軍事一体化の真実』で明らかになる。

※本記事は布施祐仁『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集したものです。

米ソ、束の間の「緊張緩和」

沖縄返還の11日後(1972年5月26日)、米国のニクソン大統領はソ連のブレジネフ書記長とモスクワで会談し、二つの軍備管理条約を締結します。

一つは、戦略核の運搬手段である大陸間弾道ミサイル(ICBM)と潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)の保有数を制限する「戦略兵器制限条約交渉(SALT 1)」。もう一つは、弾道ミサイル迎撃用のミサイル(ABM)の配備数を制限する条約です。

これを機に、米ソはしばらくの間、「デタント(緊張緩和)」の局面に入ります。

再び米ソの緊張を高める要因になったのは、キューバ危機と同様、地上発射型中距離ミサイルでした。

欧州への中距離ミサイル配備

ソ連軍は1977年から、新型の地上発射型中距離ミサイル「SS20」の配備を開始しました。

SS20は、それまでソ連軍が配備していた地上発射型中距離ミサイルと比べて射程が5000キロと長く、命中精度も格段に向上していました。しかも、1発のミサイルに出力150キロトン(広島型原爆の約10倍)の核弾頭を3個装着できる多弾頭型でした。これにより、欧州全域が、このミサイルの脅威にさらされることになります。

一方、米国は欧州に地上発射型中距離ミサイルを配備していませんでした。キューバ危機の翌年(1963年)、トルコやイタリアに配備していた「ジュピター」という地上発射型中距離ミサイルを撤去してしまっていたからです。

しかし、欧州でソ連のSS20に対する脅威認識が高まる中、北大西洋条約機構(NATO)は1979年12月、米国の地上発射型中距離ミサイルを再び欧州に配備する方針を決定します※1。

この決定に基づき、米国は1983年11月、イギリス、西ドイツ、イタリアへの地上発射型中距離ミサイルの配備を開始します。ソ連は直ちに東ドイツとチェコスロバキアに短射程の新型ミサイルを配備するなどの対抗措置を発表し、緊張が高まります。

これは日本にとっても「他人事」ではありませんでした。欧州で米ソの戦争が起きれば、日本も巻き込まれる可能性が高かったからです。

※1 北大西洋条約機構(NATO)は1979年12月に開いた閣僚理事会で、米軍の新型の地上発射型中距離弾道ミサイル「パーシング2」(射程1800キロ)と地上発射型中距離巡航ミサイル「グリフォン」(射程2500キロ)を欧州数ヵ国に配備する方針を決定した。これと併せて、ソ連と地上発射型中距離ミサイルを始めとする戦域核兵器の軍備管理交渉を進める方針も打ち出した(NATOの「二重決定」と呼ばれている)。

アジアへの核トマホーク配備

ソ連は極東地域にもSS20を配備していました。また、射程300キロを超える核巡航ミサイルを搭載する中距離爆撃機「TU22M」(NATOの呼称は「バックファイア」)も多数配備していました。

これに対抗するため、米国はアジアでは地上発射型中距離ミサイルではなく、新たに開発した海洋発射型巡航ミサイル(SLCM)「トマホーク」を太平洋艦隊の水上艦や潜水艦を中心に配備します。通常弾頭型は1982年から、核弾頭型は1984年から配備を開始しました。

トマホークは、無人航空機のようにジェットエンジンで飛翔し、あらかじめインプットした地形データに従って低空を這うように目標に向かうので、敵の防空レーダーに捕捉されにくい巡航ミサイルです。射程は約2500キロ。核弾頭の出力は5キロトンから最大で200キロトン(広島型原爆の約13倍)まで変えられる仕様になっており、米国はこれで極東ソ連軍の基地などを叩く作戦を想定していました。

日本にも頻繁に出入りしている米太平洋艦隊の水上艦や潜水艦に核弾頭を装着したトマホークが配備されたことで、核兵器の持ち込み問題が再びクローズアップされることになります。

米軍はトマホーク配備後も、事前協議することなく水上艦や潜水艦を日本に入港させました。これに核弾頭を装着したトマホークが積まれている可能性を指摘されても、日本政府は「事前協議制度というものがある以上は核の持ち込みというのはあり得ない」などと従来どおりの答弁を繰り返すだけでした。

米第七艦隊の本拠地となっている横須賀市などが核トマホーク搭載の有無を米側に確認するよう求めても、「事前協議がなかったことは、持ち込みはないと確信している。したがって、あらためて確認する考えはない」と拒否しました。

欧州で史上空前の反対運動

欧州では、米軍の地上発射型中距離核ミサイルの配備に反対する史上空前の運動が起きました。

火を点けたのは、レーガン大統領の「限定核戦争」発言です。

同大統領は1981年10月、メディアから「米ソ間の全面核戦争には至らない戦場での核攻撃の応酬はあり得るか」と尋ねられ、「あり得る」と回答しました(毎日新聞、1981年10月21日朝刊)。米ソの間には「相互確証破壊」が成立しているので戦略核兵器による全面核戦争に至る可能性は低いが、中距離ミサイルなど戦域核兵器による限定的な核戦争は起こり得るとの見方を示したのでした。

この見方の前提には、米国がソ連軍の基地や陣地などを戦域核兵器で攻撃しても、ソ連の報復攻撃は欧州のNATO軍基地などに限られ、米国本土が核攻撃を受けることはないだろうという計算があります。

レーガン大統領の発言により、欧州が米ソの限定核戦争の戦場にされるという危機感が一気に広がります。そして、ボン、ロンドン、ローマ、パリ、ブリュッセル、アムステルダムなど欧州各地で数十万人の市民が参加する大規模な反核集会が相次いで開かれます。集会の多くは、米ソ双方の戦域核の配備に反対しました。

米国が地上発射型中距離核ミサイルを欧州に配備しようとした時(1983年11月)、配備先の西ドイツ、英国、イタリアで実施された世論調査では、いずれも反対が賛成を上回りました※2。

日本でも、核トマホークの配備によって米ソの核戦争に巻き込まれるのではないかという不安が広がり、各地で反対集会が開かれます。1984年11月に行われた読売新聞の世論調査でも、約63%の人が「近い将来、核兵器を使った戦争が起こる危険性があると思う」と回答しました。

このような国民の不安をよそに、日本政府は密約の存在を隠し、「米国から事前協議の申し出がないので核兵器は持ち込まれていない」と同じ嘘をつき続けたのです。

※2 1983年11月23日付の英紙デーリー・エクスプレスは西ドイツ、英国、イタリアで同時に実施したギャラップ世論調査の結果を掲載した。▽米国製ミサイルの配備の是非(賛成―反対)。英国41―48%。西ドイツ25―48%。イタリア27―62%。(朝日新聞、1983年11月24日朝刊)

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