ある日いきなり難病が発覚…「薬漬け」になったカリスマ経営者が感じた「医者と薬の限界」

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元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。

※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

思いもしなかったリウマチ発症

私は八〇歳になって半年ほど過ぎた二〇一九年の夏「リウマチ性多発筋痛症」を発症して歩けなくなり、入院を経験しました。

入院前の私は、毎朝三〇〜四〇分間の散歩を欠かしたことがなく、「仕事が忙しいのに、そんなに歩くのは大変じゃないですか?」とよく言われましたが、散歩は長年の習慣なので、むしろ歩かないと体調がおかしくなってしまうほどでした。

そんな自分が、まさか突然歩けなくなるとは想像もしていませんでした。入院中の心身の変化も無視はできません。当初はアレもコレも失望で、医師の判断と自分の感覚とのギャップにも戸惑いました。

病棟は消灯時刻が早く、夕食後は満足に本が読めません。そもそも、病室では読書に集中できない。この病気は治るのか、退院後の生活はどうなるのか、先のことがまったくわからない状況では、本を読んでも内容がなかなか頭に入ってこないのです。何回も同じところを読み返しながら思うのは、「とにかく病気を治すことのほうが先だ」ということだけでした。

医師の変更もありましたが、こうして入院生活を終えた私は、少しずつ仕事を再開できるまでになりました。

ところが、二〇二〇年一一月にふたたび体調を崩し、そこに腰痛も加わりました。結局、翌二一年三月までの四ヵ月間、すべての仕事をキャンセルし、自宅療養を余儀なくされたのです。「しょうがないな、これも人生だ」と思うしかありませんでした。

その後、担当の医師が地方へ異動になったため、できる限り自宅に近い専門医に再度変更せざるを得なくなりました。

現在の私は、事務所を閉じ、本の執筆や雑誌のインタビュー、ミーティングをZoomなどのWeb会議サービスを利用して自宅で行っています。

薬まみれの毎日に

しかし、症状はまだ治まったわけではありません。

この病気の治療に使われるのはステロイド系の薬で、副作用がおきる可能性もあるため、二ヵ月に一度は必ず病院へ行って血液検査を受け、検査結果に応じて薬の量を調節してもらっています。

服用している薬は全部で七種類。しかも、毎日朝晩飲む薬、朝だけ飲めばいい薬、週に一度曜日を決めて飲む薬などがあり、複雑きわまりない。これまで何十年も薬と無縁で過ごしてきたのに、いきなり七種類もの薬を飲まなければならなくなり、私の頭の中はいつも薬のことでいっぱいです。

処方された薬はきちんと飲み続けていますが、血液検査の結果も、私の身体に出てくる症状も、ほとんど変わっていません。そのうえ、四ヵ月間の自宅療養で体力が急激に落ち、気持ちは前向きでも身体がついてこない。こうした苛立ちから、「何のために俺は薬を飲んでいるんだろう」と思ってしまうこともあります。

このまま薬を飲み続けていいのか、減らすほうがいいのか。減らすとしたら、一回四錠飲んでいる薬を三錠にするのか、二錠にするのか、全部やめてしまうのか。選択肢はいろいろありますが、どれを選ぶかは難しい問題です。

たとえば、それまで四錠飲んでいた薬を、担当医と相談したうえで三錠に減らしてみたことがあります。すると、体調がちょっとよくなった。患者としては、「二錠にしたらもっとよくなるのでは」と思うのが人情です。私も医師にそう言いましたが、「それはどうなるかわかりません」という答えが返ってきました。

どんな病気にも言えることだと思いますが、症状が少し改善したからといって薬を減らしたり中止したりすると、かえって悪化してしまうことがあります。特に、私の場合は原因不明の病気なので、医師として「薬をどの程度まで減らしていい」と断言はできないと言うのです。薬がすべての症状を改善するわけではない。どうやったら治るのか、医者でもわからない病気はある--。

薬を飲みはじめてからの私は、医師と薬の限界など、いろいろのことを学びました。

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