「私が母を施設に入れました」…親を介護施設に入居させた葛藤に苦しむ長男が見た、悲惨すぎる母の”変わり果てた姿”

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第10回

『「玄関に鍵はナシ」「一切の身体拘束もナシ」…介護施設入居者が『自分らしい』生活を送れるように手が尽くされた『至上の介護施設』とは』より続く

生き生きと暮らす親を見れば家族も解放される

親を施設に預けることを決断するまでに、子どもたちはさんざん悩んだり、「私は親を捨てたダメ息子・ダメ娘だ」と罪悪感にさいなまれたりと、さまざまに葛藤しています。

けれど、職員たちが試行錯誤しながら真剣にお年寄りと向き合い、お年寄りが生き生きと暮らしている様子を見れば、家族は解放されたような気持ちになれるのです。

「私は親を捨てたのではない。ここを選んだんだ」「これが私たちらしい選択なんだ」と。

親の介護に「施設入居」を選んだ意味が納得できたことで、はじめて家族もお年寄りも穏やかな気持ちになれます。

お年寄りにとっての自分らしい生活を職員とともにつくり上げていく過程と、家族と職員との新しい良き関係の2つを台無しにしてしまうのが、身体拘束です。だからこそ介護の現場で身体拘束をしてはならないのです。

信頼関係を育てる

ある入居者の息子さんがしばらくたって面会に来られたときに、こんなふうにおっしゃいました。

「私は長男でありながら母をこの施設に入れました。親を捨てたんじゃないかと自分を責めたこともあります。でもここで職員さんと笑顔で過ごす母の顔を見たときに、ここを選んだことは間違っていなかったと、気持ちが安らかになりました。

今、これだけ弱った母を前にして、私には母が何を言っているのか、何をしてほしいのか、まったくわかりません。でも職員さんたちは、まるで母の声がはっきり聞こえるかのように、母が求めていることにさりげなく対応してくれます。母の最期をそういう人に囲まれて見送っていただくことも、息子としての親孝行のひとつではないかと思います。これからますます手がかかると思いますが、どうかよろしくお願いします」

長い時間をかけて少しずつでき上がってきた職員とお年寄りと家族との信頼関係が、やがて迎えるターミナルケアを支えるベースとなっていきます。

「玄関に鍵はナシ」「一切の身体拘束もナシ」…介護施設入居者が『自分らしい』生活を送れるように手が尽くされた『至上の介護施設』とは