パリ五輪のフェンシング会場となったグラン・パレ

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ただただ驚く

 今夏に行われたパリ五輪で、個人・団体合わせて5つのメダルを獲得したフェンシングの躍進は、多くの人々を驚かせた。

 大会を終えて約2ヶ月が経った今も、開会式の旗手を務めた江村美咲選手(女子サーブル団体銅)や、才色兼備な経歴で話題となった宮脇花綸選手(女子フルーレ団体銅)に関する話題、そしてメダリスト3選手が所属するアミューズメント企業のネクサス(群馬県高崎市)が計2億5000万円の報奨金を贈呈したニュースなど、フェンシングに関するさまざまなトピックが世間を賑わせている。

【写真】パリ五輪でフェンシング日本代表を応援する宇山氏の姿

 前回の東京五輪エペ団体で金メダルを手にした宇山賢氏が、“メダルラッシュ”により注目度が高まる競技の現状を語った。

パリ五輪のフェンシング会場となったグラン・パレ

「僕が金メダルを獲得した3年前はコロナ禍の影響によるさまざまな制限が設けられていましたが、今回は各地でメダリストによるイベントも開催できています。個人・団体合わせて16人もメダリストがいると、それぞれのゆかりのある場所で回るだけでも多くの皆さんと関わることができますし、競技のことを知ってもらうきっかけにもなる。選手個人の名前やキャラクターがクローズアップされる場面も増え、ただただ驚いています」

メダルラッシュの裏で広がる選手間格差

 太田雄貴選手が銀メダルを獲得した北京五輪前後から、徐々にその実力を高めた日本のフェンシングは、「メダルの獲れる競技」として認識されるようになった。

「強化が進むにつれて、多くの方からフェンシングに関心を持っていただけるようになったのは事実ですが、他方では競技に対するイメージが、どこか漠然としたものであるようにも感じていました。ですが、パリ五輪以降は選手それぞれにも焦点が当たるようになりつつあり、フェンシング界全体にもプラスに作用していると思います」

 そう語る宇山氏は、同時に課題についても言及する。

「五輪のメダリストという点では、同じスタートラインに立った16名の選手たちですが、各々の認知度や今後のキャリアが拓ける可能性については、徐々に偏りや差が生まれてきてしまっているのではないかと感じています。3年前の自分自身を振り返ってみると、結果として注目されている時期にしか縁を持てなかったような世界もありましたし、メダリストとなった“旬の時期”であるからこそ、選手の皆さんには自身のキャリアについてもじっくりと腰を据えて考えてもらえたらなと思っています」

 とした上で、こう続ける。

「フェンシングにとってもまたとない絶好のチャンスが訪れていると思いますが、もし、選手の社会経験の少なさなどによってチャンスを逃してしまうことがあるとしたら、それは本当に勿体無いことです。競技力の向上も大切だと思いますが、一定以上の実力を備える選手に社会人としてのマナーを学ぶ場を設けたり、さまざまなリスクから身を守る方法やセルフマネジメント術を知る機会を整えたりするといったことも大切なのではないかと思っています」

「お家芸に足を踏み入れつつある」日本フェンシングが、さらなる強化に向けて必要なこと

「パリ五輪をきっかけに『日本のフェンシングは強くなった』と言っていただける機会も増えましたが、今後に向けてやらなければいけないことがまだまだある」と話す宇山氏が直近の課題として挙げるのが、子供達の受け入れ態勢の構築だ。

 メダルラッシュに沸いたフェンシングだが、その競技人口は6000人程度。熱の高まりと共に、各地のフェンシングクラブには子供達からの問い合わせが相次いでいるというが……。

「都市部にはフェンシングクラブがありますが、地方に目を向けるとクラブの数はまだまだ少ないですし、指導者の数も限られています。インターハイの競技に採用されているので、学校のクラブ活動が盛んな地域も見られますが、それも極めて限定的です。特に競技環境が整っていない地方では、指導に携わる人材の掘り起こしが早急な課題であるように感じています」

 その解決の糸口になりそうなのが、福岡県などで実施されているタレント発掘事業だろう。スポーツの才能を持つ子供たちの発掘を目的としたプロジェクトで、女子サーブル団体で銅メダルを手にした福島史帆実選手と高嶋理紗選手もこの取り組みによって才能を見出され、世界に羽ばたいた。

「教師の負担軽減などを目的に、学校のクラブ活動が地域に移管されていく傾向が見られますが、この流れは今後も加速していくことになるでしょう。 その場合は、外部指導者を招き入れるような流れになると思いますが、もし地域に競技経験者がいたとしても、核家族化によって家庭内で果たす役割は増えていますし、選手の指導だけでは生活が成り立たないような状況も見受けられる。クラブ経営や後進の指導をすることで、安定した生活基盤が整えられるような環境づくりが一層求められるようになるでしょう」

 フェンシング協会を中心とした指導者ライセンスの整備なども進めており、外部の人材を受け入れ体制を徐々に整えているというが……。今後の動向にも注視したいところだ。

競技普及に期待 スマートフェンシング

 フェンシング界のさまざまな課題を指摘する宇山氏だが、今秋には広島県広島市と宮城県気仙沼市に新たな練習場が開設されるなど、競技を取り巻く状況は徐々に変化しつつある。

 そのような状況で宇山氏が普及を進めているのが、大日本印刷株式会社(以下、DNP)が開発し、自身が理事を務めるスマートフェンシングだ。専用の剣と通電性のあるジャケット、そしてスマートフォン用のアプリを使ってフェンシングを疑似体験できるサービスで、宇山氏も「まずはフェンシングに触れてもらう機会を増やし、本格的に競技を始めるきっかけになれば……」と期待を寄せている。

「今のフェンシングは、レスリングのように“日本のお家芸”に足を踏み入れつつある状況だと感じています。徐々に競技の認知も広まっているような印象を受けますが、『フェンシングをやったことがある』という人は残念ながら多くありません。生活の中で気軽に楽しめるスポーツにしていくことが、競技のさらなる発展に大切なことだと思っています」

 五輪のメダルラッシュを追い風にフェンシング場での常設も決まるなど、スマートフェンシングへの関心もこれまでにない高まりを見せているという。

「フェンシングは室内の省スペースでもできるので、装具の問題さえクリアできれば気軽に楽しめる競技です。ハードルになる要素を丁寧に取り除くことで、多くの人に楽しんでいただけるスポーツに成長を遂げる可能性を秘めていると思います。スマートフェンシングの拡大と、そこから本格的に競技を始める流れを整えていけたら」と意気込む宇山氏は、今後は端末を使った練習会や大会の実施にも力を注いでいく予定とのこと。

「五輪後に高まったフェンシングに対する熱を、なんとか未来に繋げられたら」と今後の展望に期待を寄せた。2008年の北京五輪で太田雄貴さんの活躍を見た世代が、パリ五輪で多くのメダルをもたらしたという。さまざまなドラマと16人のメダリストを生んだパリ五輪は、競技の未来にどのような軌跡を残すのだろうか。その長い道のりはすでに始まっている。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部