風俗街の高校に進学、社会になじめずホームレスへ…35歳のADHD男性が告白する「思春期の過酷」…僕は恥ずべき人間だった

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チャンネル登録者数110万人(2チャンネル合計)の動画クリエーターとして活躍するナカモトフウフ。夫・ダイスケさんと妻・ちゃんまりさんが発信する動画の内容は、旅行、美容、ファッション、投資など、ジャンルにこだわらず、ふたりが興味を持ったことを日々発信している。

中でも、夫・ダイスケさんのADHDに関する動画の再生回数は600万回を超え、投稿から数年経った今も再生回数を伸ばし続ける注目コンテンツだ。

動画クリエーターとしての地位を確立したダイスケさんだが、かつてはADHDであるがゆえに社会に馴染めずホームレスを2度経験するなど、過酷な現実に翻弄されてきた。

ダイスケさんの過去を、妻・ちゃんまりさんがADHDの夫の行動に振り回され悩み苦しんだ日々からどのように脱出したのかをまとめた『ADHDの旦那って意外と面白いんよ 本気で発達障害に向き合った夫婦の物語』よりお伝えする。

周りから誤解され、問題行動を繰り返した10代

「変な人」「問題児」「暴力的」「嫌われ者」「嘘つき」……

これが、大人になってから中高生時代の同級生に僕のイメージを聞いたときの答え。当時は喧嘩をすることや先輩に目をつけられてリンチに合うことも多かったし、お金を稼ぐためにいろんなことをして人を騙したから、当然の結果だと思う。

―― 僕は恥ずべき人間だった ――

自分を客観的に見られるようになった今だから思う。

自分の現状に、より強い焦りを感じ始めたのは16歳の頃。常に問題ばかり起こすため、学校で何か問題が起きると必ず僕のせいにされるようになった。

心が腐っていたわけではなかったが、発達障害で周りとコミュニケーションをうまく取れず、ただひたすらに問題行動と誤解されることを繰り返す日々だった。

ちなみにADHDとは「不注意」と「多動・衝動性」を主な特性とする発達障害の概念の一つ。症状の度合いにもよるが、家庭、学校、社会生活でさまざまな困難をきたすといわれている。僕の場合は、「不注意型」と「衝動性」が強いADHDと診断された。

【ダイスケさんのADHDの主な特徴】

(1)自分が興味あることへのこだわりが強すぎる

(2)圧倒的な物失くし

(3)何かに集中しているときは、何も耳に届かない

(4)衝動的に欲求を満たす

(5)自分の物差しで考えを押し付ける

自分の人間性に絶望、変えるため決断

僕はどう生きたってのけ者にされるという、途方もない孤独と焦燥感と、自分の人間性に対する絶望。その焦燥感が20代の間ずっと続くとは当時思いもしなかった。

「親にも迷惑をかけているし、このままじゃマズい」という思いから、焦燥感にかられた僕は、自分を変えるために一大決心をする。

高校3年の夏に、単身、沖縄から北海道へ行くことを決めたのだ。将来は寿司職人になろうと思っていたので、転校先と引越しの準備を自分で済ませ、一路北海道へ。

こういう突発的で衝動性のある思い切った行動は、ADHD患者の典型的な症状。そんな僕の決断を受け入れてくれた親の理解と愛情の深さには感謝が尽きない。

何か特別なことをするか、犯罪で捕まるか

北海道では、昼はすすきのの風俗街にほど近い高校へ通い、夜はすすきのの寿司屋で見習いという、世にも珍しい高校生活が始まった。今考えると、飲み屋街と風俗街に囲まれた高校ってかなりカオスな環境だった。

ティーンエイジャーが、気候も何もかもが違う、見知らぬ土地の慣れない環境の中で学校に通い、夜は厳しい職人の世界で下積み生活。家に帰っても四畳一間の玄関もないアパートでひとりぼっち。

高校卒業後は職人ならではの縦社会で、人間関係がうまく噛み合わず、厳しい仕事で体力も消耗し、ストレスで蕁麻疹やアレルギー症状が出て、恩を仇で返すかたちで店を辞めた。

ここまで全くいいところなしの人生だけど、当時嫌われながら、今でも北海道で出会った人達と交流があるのは不思議なところだ。

「人間性はクズだけど、情はあるし面白い奴だ。何か特別なことをするか、犯罪で捕まるか」当時を知る人達からはそんな答えばかりが返ってきて、妙に納得してしまった。

貯金が尽きてホームレスに

世話になった寿司屋を辞めた後も北海道で寿司屋を転々とし、次はバンド活動に目移りして、売れもしないバンドマンに。

好奇心が強く、熱しやすく冷めやすいADHDの特性ゆえ、こういった積み上げてはぶち壊す行動が絶えない。そんな言葉がぴったりな僕の人生は下流へと流れていき、貯金は底を尽きて第一次ホームレス期に突入する。

この頃の食いぶちは、登録制の日雇い派遣。夢もなく現場を転々とする日々。冬季に入ると仕事が激減するのが雪国の現場仕事の常。冬の間の半年ほどは、公園のトイレで寝泊まりする日が続く。

現場仕事がない間は、高所窓拭き作業員やテレアポ、いかがわしい会社の営業など、さまざまな職を転々とした。

さすがに公園での寝泊りが続くのはキツく、こんどは友達や当時の彼女の家を転々とする日々。

そうこうしているうちに無理がたたって体調を崩し、入院。その際に知った新薬の治験アルバイトは3ヵ月おきに何度かやったけど、そんな生活は長くは続かず、お金もなくなり、ついに帰郷。

自分を恥じる人生が悔しくて仕方なくて、焦燥感のみでどうしようもない青年期を過ごした。

…つづく<1年で工場をクビになったADHD男性の「絶望人生」が、その後「年収1000万円」に大逆転できたワケ>では、悩みぬいた末に病院の診てもらったがきっかけに、自分の人生を歩めるようになった、ナカモトフウフ、夫のダイスケさんのその後を語ります。

交際から合わせて約7年の間に起きたことや学んだことをADHDの当事者(夫)とパートナー(妻)それぞれの目線で激白。ADHDという障害に悩み、向き合い、乗り越えるまでのリアルな日常をマンガとともに紹介している。

1年で工場をクビになったADHD男性の「絶望人生」が、その後「年収1000万円」に大逆転できたワケ