機能障害も立派な”個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第5回

『介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは』より続く

機能障害が個性になっていくプロセスをともに生きる

機能障害は、もちろんはじめからその人の個性だったのではありません。個性になっていく過程があります。

医療技術では治らない機能障害が、お年寄りの生きにくさ、生活のしにくさとしてその人を苦しめている、まさにそのときに私たち介護職と出会ったとしたらどうでしょう。

私たちは、治らない機能障害がある人は、人としてダメなんじゃなくて、その治らない機能障害も含めて、それがあるがままのその人なのだと考えます。

「そのあるがままの自分で生きていくのがつらいとか、悲しいだなんておかしいよ」

それが生活支援の場で働く私たちの立ち位置です。この、機能障害が個性になっていく過程を踏む時間と場所が、私たちのいる生活支援の現場なのです。

医療現場で亡くなること、介護施設で看取られること

病院で人が死ぬということは、病名で死ぬということです。「3号室の肺炎の方が亡くなりました」「特別室の胃がんの方が死亡しました」というように。そこに個別の患者に対する人生にまでおよぶ特別の思い入れを望むことは、なかなか難しいでしょう。

ただし病院のすごいところは、昨日今日出会った人でも、その命を見届けることができるということです。言い換えれば、その人の体の状態を瞬時に把握し、そのときどきに必要な医療を、その人が亡くなるまで提供しつづけるということです。これは介護施設では不可能なことです。

一方、生活支援の場である介護施設で人が死ぬということは、たったひとつの、その人だけの固有名詞で見送られるということです。私たち介護職員はひとりの入居者であるこのおじいさんと、1年、3年、5年、10年……という歳月をともに過ごす中でいくつものエピソードを積み重ね、最後はかけがえのないたったひとりの「○○さん」として見送ることができます。

その点が、医療現場で亡くなられることと、生活支援の場の看取りとの決定的な違いです。

「介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは