BMWに「ほぼ接着剤で組み立てられているクルマがある」と聞いて、どう思う…?すでに産業界で急速普及中も、じつは「謎だらけ」の接着剤

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「冷やすメカニズム」を根底から覆す冷蔵庫、意外な魚のおかげで完成した高温でも触れるレンガなど、なぜできたの? どうやって働くの? と、思わず頭をかしげてしまうようなびっくり発明の数々をご紹介してきた、本サイト人気連載「さがせ、おもしろ研究! ブルーバックス探検隊が行く」。

なんと、1世紀半近くにもわたって日本の産業支えてきた「産業技術総合研究所」の全面協力のもと『「あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション』として刊行!その中から厳選おもしろ発明をご紹介します。

今回は、接着剤です。じつは、なじみの日用品である接着剤ですが、じつは、ものとものをくっつけるしくみは、いまだ謎なのだとか。この「くっつくしくみ」の研究をレポートします。

*本記事は、『「あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。

意外に多い「じつは、わかっていないこと」

「飛行機はなぜ飛ぶのか」は、じつは、いまだにちゃんとわかっていないという。にもかかわらず、私たちがふだん平気で乗っているのは、考えてみたら恐ろしいことなのかもしれない。

しかし、科学技術の世界では、そんな「結果オーライ」が意外とまかり通っているようだ。驚くべきことに「接着剤で物と物がくっつく理由」も、こんなに科学が発展した現在でも謎なのだというのだ。そこで、接着のメカニズム解明のために立ち上がった研究者がいた。苦心の末になしとげた、その世界初の成果とは?

身近なようで知らなかった「接着の世界」を探検した。

いまだにわかっていない「なぜくっつくのか」

じつは、人類は昔から、物と物が「くっつく」現象について、考えに考え抜いてきたようだ。たとえば全3巻の大著『磁力と重力の発見』(山本義隆/みすず書房)を読むと、古代ギリシャ以来、磁石が鉄とくっつくことがいかに大きな謎だったのかがよくわかる。

正確には「くっつく」ではなく、離れた物体を磁石が謎の遠隔作用によって「動かす」現象というべきかもしれないが、ともかくそのしくみは長いあいだわからなかった。

16世紀末に地球が磁石であることを発見したウィリアム・ギルバートさえ、「磁力は霊魂を有する、もしくは霊魂に似ている」と、古代ギリシャの哲学者タレスが唱えた霊魂論とあまり変わらないことを語っていたそうだ。もっとも、現在でも大半の人々は、接着剤もなしに磁石が冷蔵庫のドアにくっつくのを不思議と思うだろう。

だが、それではまだまだ不思議センサーの感度は低い。磁石がくっつくのが不思議なのと同様に、接着剤が物と物をくっつけるのは当たり前ではないのだ。どうやら「接着」という現象の根本的なしくみは、まだ完全には解明されていないらしい。さすがに接着剤霊魂説を唱える研究者はいないと思うが、もしいたとしても、完全に論破することはできないかもしれないのだ。

21世紀に入って20年以上が過ぎたいまも、科学のフロンティアは広くて深いのだった。

そんな接着のしくみを調べている研究グループが、世界で初めて「接着剤が引き剝がされるプロセスの電子顕微鏡によるリアルタイム観察」に成功したという。……くっつくしくみを知りたいのに、剝がしてどうするんですか? 二重に驚いた探検隊は、世界初の観察に成功した産総研に急行し、ナノ材料研究部門接着界面グループの上級主任研究員、堀内伸さんに話を聞いた。

堀内さんたちのラボが創設されたのは、2015年のことだった。その背景には「ここ10年ぐらいで接着剤に対する社会の期待が変わってきた」(堀内さん)という事情があったという。接着剤への期待といわれても、いまはコンビニに行けば強力な瞬間接着剤が手に入る時代だ。日常生活ではもう十分に満足できている気もするのでちょっとピンとこないが、これはそういうレベルの問題ではない。

接着剤に注目する業界

自動車、飛行機、建築物などの大きな物をくっつけることを「構造接着」と呼ぶそうだ。それも含めて、産業界には単に「とりあえずくっつけばいい」では済まない課題が山ほどある。堀内さんたちがラボの設立時に開催したシンポジウムには、各種の企業で研究開発に携わる人々がわれもわれもと集まり、300人収容の講堂に立ち見が出るほどの超満員になったそうだ。

「もっとも大きなニーズがあるのは、自動車業界です。CO₂削減のためにガソリン車から電気自動車に置き換わる流れのなかで、車体を軽量化するために、鉄以外の軽い素材を使おうとしています。いろいろな材料を適材適所に使いつつ、軽さと剛性を両立させるマルチマテリアル構造をめざしているわけです。

しかし、鉄と違って、アルミや樹脂などの材料は、溶接では組み立てることができません。現実的な接合の方法は、接着剤を使うことです。とはいえ、自動車となると人の命がかかってくるので、プラモデルに使うような接着剤では話にならない。市販されている瞬間接着剤などは、日常レベルでは強力ですが、水にとても弱く、単なる仮留めみたいなものですからね」

いやはや驚いた。「絶対に指につけてはならぬ! ああそうだ絶対にだ!」と決死の覚悟で使うあの瞬間接着剤も、産業レベルでは「仮留め」程度の弱さなのだという。

ほぼ接着剤だけで自動車を組み立てたBMW

自動車分野で強力な接着剤の開発が進んでいるのは、ドイツをはじめとする欧州だ。とくにBMW社が製造した「i3」という車は、この分野の研究者や技術者に強い衝撃を与えた。車体を丸ごとCFRP(炭素繊維強化プラスチック)でつくり、接合にはほぼウレタン系接着剤が使われたからだ。

「耐久性より軽量化が優先されるF1マシンなどは以前からCFRPを使っていましたが、市販車にそれを使って接着剤で組み立てるのは、じつに果敢といえました。それまでも自動車やエレクトロニクスなどさまざまな分野で、『もっと強力な接着剤がほしい』と考えている企業は多かったのですが、ドイツの研究開発が引き金となって、一気にニーズが本格化しました」

そこで自然と求められたのが、剝がれてしまう理由、さらには接着するメカニズムの解明だった。

「そもそも、『接着剤がなぜくっつくのか』がわかっていないので、みんな根本的なところから知りたがっているんです」

考えられる3つのモデル

接着剤がくっつく基本的なメカニズムについては、昔から3つのモデルが考えられてきたという(図「接着剤がくっつく3つのメカニズム」)。アンカー効果、分子間力、化学結合だ(やはり霊魂説はない)。

アンカー効果は、いわば「機械的」な接着。くっつけたいものの表面がザラザラしていると、その凹凸に接着剤が入って固まり、相互にからみ合うようにしてくっつく。

分子間力は、静電気のプラスとマイナスがくっつくような静電的相互作用だ。

そして化学結合は、基材表面の物質と接着剤の物質が、共有結合や水素結合などによってくっつくとされている。

「しかし、たとえば瞬間接着剤がこの3つのどの作用でくっついているのかも、まだはっきりわかっていないんです。いわば結果オーライでくっついているだけで、原理はわからない。物をつくるうえで一番安心できるのは化学結合ですが、それが起きていることをまだ誰も証明していません。それなのに、化学結合でくっついていると、あたかも常識のように語られている。そのことが、私には納得いきません。まったくの噓かもしれないのに……。その実態を明らかにするのも、私たちのテーマの一つです」

これだけ科学技術が進歩しているのに、まだそんなこともわかっていないのか……と、つい素人は思ってしまうわけだが、堀内さんによれば、接着界面がどうなっているのかを見極めるのはきわめて難しいことらしい。

なにしろ接着剤でくっついているのだから、そこで何が起きているのかを観察するのはたしかに大変だろう。どうすればいいのか、見当もつかない。私だったらすぐに諦めて、「まあ、くっついてるんだから、もうそれでいいじゃないの」と放り出してしまうだろう。

「界面剝離」か、「凝集破壊」か、それが問題だ

「接着の原理を解明するには、まず壊れかたを知ることが大事です。たとえばアルミとアルミを接着したものを引き剝がしていって、破壊したときにかかっていた力の強度を測定します。そのとき重要なのは、どこで壊れたか、です」

そうか。だから「いかにくっつけるか」だけでなく「いかに剝がれるか」を見なければいけないのである。そして、くっついていたものの剝がれかたには、大まかに2つのパターンがあるという。「界面剝離」と「凝集破壊」だ。

仮に、接着剤でアルミをくっつけたとすると、壊れたときアルミ側に接着剤が残っていなければ、アルミと接着剤の界面で剝がれたことになる。これが、界面剝離。この場合は、接着剤自体が弱いと考えられる。一方、アルミ側に接着剤が残っていれば、固まっていた接着剤自体が壊れたことになる。こちらが凝集破壊だ。

「凝集破壊のほうが、界面の接着力は強いということになりますよね。その場合は、接着剤自体がもっと壊れにくくなるように改良すれば、もっと接着が強くなります。でも、実際に剝がして見てみると、単純に界面剝離か凝集破壊のどちらかが起きているわけではありません。両方が起きていることもあるし、剝がしかたによって結果が違うこともある。接着界面の壊れかたは複雑なんです。その実態を詳しく知るために求められていたのが、剝がれるプロセスをリアルタイムで観察することでした」

しかし、光学顕微鏡や走査型電子顕微鏡(SEM)では、その観察はできなかった。そこまでの微細な変形を見るのは難しいのだ。そこで使われたのが、より精密に観察できる透過型電子顕微鏡(TEM)だ。

透過型電子顕微鏡(TEM)では、どのよう光景が見えるのだろうか? なぜ、TEMでないといけないのか? 続いて、このTEMによる観察で見えてきた世界をご紹介しよう。

*研究者の肩書き・所属は探検時のものです。

「あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション

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