民族に優劣はないのに……。気高き和睦をめざす骨太歴史エンタメ小説が、史実に特化させようとしないで描こうとする理由

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気鋭の時代・歴史小説家、武川佑さんが最新作『円かなる大地』で描いているのはなんと「アイヌ」。

著者にとっても初挑戦となる題材を、書評家はどう読み解くのか?

今回は大矢博子さんによる書評を公開します。

武川佑『円かなる大地』

時は戦国、北の大地。謎多きアイヌの壮年・シラウキが人喰いクマの襲撃から助けた少女はなんと、蠣崎氏当主の娘・稲姫だった。礼として居城に招かれるが、それが和人とアイヌの戦の引き金となってしまう。

稲は己の無知が招いた惨状を目の当たりにして、和睦には自ら打って出ることを決意する。

一方シラウキも稲姫の姿に心打たれ、少年期の惨劇の清算を和睦へと託すのであった。無頼の女傑、女真族、恐山の怪僧……二人は心強い協力者とともに和睦の中人となりうる出羽国・安東氏のもとへ向かう。

果たして二人は、「とこしえの和」を実現することができるのか――

いま最注目のヒストリーテラーが贈る、本格歴史エンターテイメント!

描かれることの少なかった戦国時代のアイヌと和人

野田サトルの人気コミック『ゴールデンカムイ』(集英社)のヒットとその映画化で、アイヌ文化に俄然注目が集まっている。小説の世界を見てみても、川越宗一は『熱源』(文春文庫)で政治に翻弄され「日本人化」を強制された明治時代の樺太のアイヌの物語を描き、河治和香は『がいなもん 松浦武四郎一代』(小学館文庫)で幕末を舞台に、「北海道」と命名した松浦武四郎とアイヌの交流を綴った。泉ゆたかは『ユーカラおとめ』(講談社)で、大正時代にアイヌの口承文芸「ユーカラ」を伝えた知里幸恵を通し、民族の誇りと差別との戦いをテーマに据えた。

これらはまだまだほんの一部だが、時代も視点もモチーフも異なることがわかるだろう。しかし共通しているのは、そこには確実に独自の歴史と文化が存在しているという事実と、異なる歴史と文化が出会ったときに起きる軋み音である。

その作品群に新たな一翼が加わった。武川佑の新作『円かなる大地』は、これまで扱われることが少なかった戦国時代のアイヌと和人の関係を描いた意欲作である。

永正九年(一五一二年)、蝦夷地開拓でアイヌの反発を受けた河野季通の館が襲撃されるプロローグを経て、物語本編は天文十九年(一五五〇年)、シリウチコタンでの結婚式の場面から始まる。祝いの最中、コタンの少女が四ツ爪と呼ばれる羆に襲われ、シラウキという男が羆を追った──。

このシリウチコタンの長がチコモタイン。セタナイコタンの長であるハシタインとともに、後に道南を支配する蠣崎季廣との和平協定「夷狄商舶往還法度」を結んだ男である。和人とアイヌの間に結ばれた、歴史の中でも他に例を見ない、対等に近い和睦だ。本書は蠣崎季廣の娘・稲姫と、和人によってコタンを殲滅させられたシラウキのふたりを軸に、この時代の和人とアイヌの戦いと和睦までを描いた力作である。

エキサイティングなロードノベル、かつ冒険小説!

アイヌの描写、コシャマインの戦いから大館騒動までの経緯など、その歴史に質量を感じるほどの読み応えだ。しかし本書で瞠目したのは史実にとどまらない。史料のほぼ残っていない稲姫と架空の人物であるシラウキを主人公に据えたからこそ可能な、めちゃくちゃエキサイティングなエンターテインメントになっているのだ。

敵対するアイヌと蠣崎氏を調停し、「夷狄商舶往還法度」の立会人となったのは出羽の戦国大名・安東舜季だが、激化する闘争を鎮めて「とこしえの和睦」を実現させるために、稲姫とシラウキが蝦夷を脱出して出羽に向かうというのが本書の骨子だ。つまりロードノベルなのである。彼らとともに出羽を目指すのは、稲姫の許婚である下国師季の他、一家を統べる女リーダーや大陸から来た女真族の男、さらにはかつて間諜だった恐山の僧侶も途中から加わる。嵐に遭ってチームがばらばらになってしまったり、アイヌを敵視する武将の領地を通らねばならなかったり。その途中には思いがけない因縁の相手との再会あり、旅を通して成長する稲姫の姿あり、策謀あり戦いありと、とにかく息つく暇もないほどの展開にただひたすら翻弄された。冒険小説としても一流なのである。

だがそれも歴史の裏打ちがあってこそだ。冒険の随所に意外な形で史実とのつながりが顔をのぞかせる。そのエピソードを、その人物をそこに置くのかという驚き。実に細部まで計算されている。

確かに成された「対等な和睦」

だったら史実に特化すればよかったのでは、と思うだろうか。答えは否だ。著者が出自も立場も異なる者たちを組ませたのは、物語のテーマが、異文化の尊重だからだ。アイヌと和人だけではない。男と女、武士と庶民、和人と女真族。異なる歴史と異なる習慣、異なる価値観を持つ者たちが、同じ目的のもとに動く。理解できないことを拒絶するのではなく知ろうとする。「彼らの道理」に従ってみようとする。尊重しようとする。そういう場面が本書には何度も登場する。そのなんと気高く、心強いことか。

幼いシラウキが和人領主の息子と親しくなっていく過程をどうかじっくり味わっていただきたい。何も知らない子どもの頃なら仲良くできるのに、大人になるとそれができないのはどうしてなのか。その変化を生むものは何なのか。本書は稲姫とシラウキが、その連鎖を止めようとする話なのだ。

もちろん、歴史を知っている今の私たちから見れば、この後にもアイヌと和人の間には悲しい出来事が繰り返される。しかしそれでも「対等な和睦」が一度は成されたのだ。戦いをやめ、共存しようとした人たちが確かにいたのだ。長いアイヌ史の中で、著者がこれをモチーフにした理由はそこにある。

民族に優劣などないのに、異質なものを見下し、敵視し、排除しようとする──それはアイヌと和人に限らず、現代にもなお受け継がれる問題だ。いや、むしろ同じ民族同士の戦いすら、私たちは続けてきたではないか。骨太な歴史小説であり、エキサイティングな冒険小説でもある本書は、今の私たちに向けて、もう一度立ち止まって考える機会を与えてくれるのである。

武川佑(たけかわ・ゆう)

1981年神奈川県生まれ。立教大学文学研究科博士課程前期課程(ドイツ文学専攻)卒。書店員、専門紙記者を経て、2016年、「鬼惑い」で第1回「決戦!小説大賞」奨励賞を受賞。甲斐武田氏を描いた書き下ろし長編『虎の牙』でデビュー。同作は第7回歴史時代作家クラブ新人賞を受賞。2021年、『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』で、第10回日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。最新作は『円かなる大地』。

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