アイヌの歴史に託された祈りと希望の物語が描く、「差別」されてきた歴史の中に埋もれた「とこしえの和睦」の可能性

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気鋭の時代・歴史小説家、武川佑さんが最新作『円かなる大地』で描いているのはなんと「アイヌ」。

著者にとっても初挑戦となる題材を、書評家はどう読み解くのか?

今回は細谷正充さんによる書評を公開します。

武川佑『円かなる大地』

時は戦国、北の大地。謎多きアイヌの壮年・シラウキが人喰いクマの襲撃から助けた少女はなんと、蠣崎氏当主の娘・稲姫だった。礼として居城に招かれるが、それが和人とアイヌの戦の引き金となってしまう。

稲は己の無知が招いた惨状を目の当たりにして、和睦には自ら打って出ることを決意する。

一方シラウキも稲姫の姿に心打たれ、少年期の惨劇の清算を和睦へと託すのであった。無頼の女傑、女真族、恐山の怪僧……二人は心強い協力者とともに和睦の中人となりうる出羽国・安東氏のもとへ向かう。

果たして二人は、「とこしえの和」を実現することができるのか――

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戦国時代、のなかでも「アイヌ」

戦国時代は、武川佑のフィールドだ。室町時代を舞台にした『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』のような作品もあるが、デビュー作から戦国小説を中心に書き続けているのである。ただし題材は多彩だ。『かすてぼうろ 越前台所衆 於くらの覚書』は女料理人、『真田の具足師』は実在の具足師を主人公にしていた。そして最新刊となる本書『円かなる大地』の題材は、なんとアイヌである。

物語は永正九年(一五一二年)、館に火をかけられた宇須岸城主の河野季通が自裁し、三歳の娘の蔦姫が落ち延びる場面から始まる。この序章が終わると、時代は天文十九年(一五五〇年)に飛ぶ。シリウチコタンの若者のもとに、泊村のアイヌの娘が嫁いだ。祝言には、泊村の代官の小山悪太夫(このような名前だが女性である)も駆けつけた。だがコタンに「四ツ爪」と呼ばれる熊が現れ、コタンの娘が喰われてしまう。逃げた「四ツ爪」を殺すよう、コタンの長のチコモタインからいわれたのが、シラウキという男である。なにやら「四ツ爪」と因縁があるらしい。コタンのハワシと共に「四ツ爪」を追うシラウキは大館に至った。そこで、「夷嶋守護」である蠣崎季廣の娘の稲姫が「四ツ爪」に襲われかけたところを助ける。

その後、「四ツ爪」を殺し、稲姫の言葉に従い蠣崎の屋敷に、シラウキとハワシは赴いた。だが、季廣と家臣たちはアイヌを見下しており、争いが起こる。ハワシは捕まり、シラウキは稲姫を人質にしてシリウチコタンに戻った。これによりシリウチコタンと蠣崎家の間で戦が起こる。どうやら、前々からシリウチコタンを滅ぼそうとしていた季廣の思惑に嵌ってしまったらしい。コタンで暮らすうち、アイヌのことを知りたくなった稲姫は、和人の兵たちの唾棄すべき行為を目撃し、心を痛める。そして状況を打開するための使者となったシラウキについていくのだった。

成長していく登場人物たち

悪党と呼ばれるシラウキは、二年前にシリウチコタンにやって来た男である。二十年前に壊滅したエサウㇱイのアイヌであったらしい。この過去については、物語の途中で挿入される。それは十五歳のシラウキが、和人の蠣崎次郎・紺平八郎・権蔵の三人と友情を育み、「和人もアイヌもどちらも偉くない国を作ろう」と誓う、希望に満ちた青春物語だ。しかし現実はすぐに希望を蹂躙し、シラウキたちは絶望を抱いたまま生き残る。その後、蔦姫との縁もできるのだが、このあたりの経緯は読んでのお楽しみである。

そのような過去を挟みながら、天文十九年の物語も、意外な方向に転がっていく。アイヌと和人の戦を終わらせるために、出羽の安東舜季を中人(仲裁人)として、夷嶋に来てもらおうとするのだ。シラウキと稲姫、小山悪太夫、稲姫の許嫁で和人の行いを恥じる下国師季、ある人物の仲間である女真族のアルグン。バラエティ豊かなメンバーが、舜季のいる出羽へと旅立つ。

最初はシラウキが中心になっているが、徐々に稲姫の存在感が増してくる。十三歳の稲姫は、まさに箱入りのお姫様。和人に差別と搾取をされているアイヌの現状を、まったく知らずに生きていた。しかし聡明な彼女は、己が無知だと気づくと、積極的にアイヌのことを学ぶ。和人側の横暴(作者の描写は、本当に容赦がない)に怒りを抱く。そして母親から教わった方法で、自分なりの戦いをするのだ。本来なら自らが所属する権力に立ち向かうことで成長していく稲姫の姿が、熱い読みどころになっているのである。

あふれ出てくる作者の「覚悟」と「使命感」

一方、波乱に富んだストーリーも見逃せない。迫力ありすぎの戦の描写。アイヌを激しく憎む武士と、シラウキたちの死闘。過去の人物も意外な形で登場し、因果因縁の糸が絡まる。ロード・ノベルとなる後半も、工夫を凝らした展開で、ページを繰る手が止まらないのだ。

さて、史実なので書いてしまうが、稲姫たちの奮闘は、「夷狄商舶往還法度」へと結実する。詳しいことは本作を読んでほしいが、和人とアイヌの間で唯一、対等に近い関係で結ばれた画期的な講和であった。河野季通・蔦姫・稲姫と繫がった「とこしえの和睦」の願いと、シラウキ・次郎・平八郎・権蔵の「和人もアイヌもどちらも偉くない国を作ろう」という誓いは、ここに確かな一歩を踏み出したのだ。

しかし、その後もアイヌは和人の差別と搾取の対象となった。江戸時代には、有名なシャクシャインの戦いが起きている。また残念なことだが、現在でもアイヌに差別感情を抱く人はいる。だからこそ、歴史の中に埋もれた「とこしえの和睦」の可能性を掘り起こし、物語の形で広く世間に知らしめる本書が、深い意味を持つのだ。

さらに付け加えれば、旅のメンバーに女真族のアルグンを入れたことにも、重要な意味がある。アイヌの苦しみの歴史は、世界のさまざまな民族の苦しみの歴史と通じ合う。現代の戦争や紛争を見ても分かるように、それは今でも続いている。このことを作者は、アルグンを通じて表現したかったのだろう。作者は「とこしえの和睦」に至ったかもしれない可能性を指し示したかったのだ。どうしても書かねばならないという、覚悟と使命感が伝わってくる、会心の一冊なのである。

武川佑(たけかわ・ゆう)

1981年神奈川県生まれ。立教大学文学研究科博士課程前期課程(ドイツ文学専攻)卒。書店員、専門紙記者を経て、2016年、「鬼惑い」で第1回「決戦!小説大賞」奨励賞を受賞。甲斐武田氏を描いた書き下ろし長編『虎の牙』でデビュー。同作は第7回歴史時代作家クラブ新人賞を受賞。2021年、『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』で、第10回日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。最新作は『円かなる大地』。

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