「介護なんかできない。出て行って!」介護士が”迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第4回

『「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは』より続く

典型的な迷惑入居者

老いて病んで、ただ死んでいく人たちの価値は何によって決まると思いますか?

それは、そのお年寄りが「出会った人」で決まります。

お年寄りの今までの生き方を無視して数や量として扱うのか、やっかい者として排除するのか、それとも、ひとりの大切な人として最後まで見届けるのか。つまりお年寄りがどんな最期を迎えるかは、そのお年寄りが誰に出会ったかで決まるのです。生活支援の場におけるターミナルケアでもっとも重要なのはこの一点です。

私が勤務している施設に、認知症の典型のようなおじいさんが入居していました。

昼夜を問わず施設内を徘徊し、大声を出し、ところかまわず放尿するわ、気に入らないことがあると職員に暴力をふるうわで、「介護なんかできないよ。出て行ってもらおう!」と職員たちの大ブーイングが起きたこともありました。

それでも何とか踏みとどまって職員たちが受け入れ続けたのは、施設に来る前、手に負えないこのおじいさんの面倒を70歳過ぎたおばあさんがたったひとりでみていて、苦労の末に、困り果てて私たちの施設にやって来たことを、ケアマネジャーからの申し送りで知っていたからです。

「奥さんがここまで頑張ったのだから、私たちだって、もう少し頑張ろうよ」とお互いに声をかけ合っていました。

そんなふうに、しばらくは元気いっぱいに暴れ回り、職員たちをさんざん手こずらせたおじいさんは、数年後に風邪をこじらせて肺炎を起こし、病院に入院しました。幸い肺炎は2週間ほどで完治しましたが、退院して戻ってくると1日中ボーッとしています。おまけに病院では治療のために絶食していたので、自分から物を食べようとしなくなりました。

その人が、「自分である」ということ

職員がこのおじいさんの肩を揺すり、一所懸命に食べてもらおうとします。

「じいちゃん、もう一口食べて。今食べないとチューブ(経管栄養)になっちゃうよ」

その様子を見ていた別の職員が言いました。

「じいちゃん、大声出してよ。歩き回ってよ。警察くらい呼んでこいよ!」

あれほど嫌だった大声です。職員みんなが振り回され、たいへんな思いをさせられた徘徊です。勝手に施設を抜け出し、「お宅のおじいさんを預かっています」という警察からの電話に大騒動したこともありました。それをもう一度やってみせてくれと言うんです。このおじいさんは最後にこんな職員たちと出会いました。

認知症のお年寄りが抱える恐さは、記憶が障害される恐さです。記憶が障害されるということは、自分が自分を忘れるということ。自分が他人から忘れられるということ。それはいないも同じ、「死んだ」も同然です。おじいさんの「自分を忘れたくない」「私を忘れられたくない」「私を生きていたい」という思いが、大声や徘徊という行動を引き起こしていることを、現場の職員たちは知っています。

「私はおじいさんに生きていてほしい。だから、おじいさんの生きたいという気持ちを、もう一度見せてよ」

おじいさんの思わぬ行動の一つひとつに振り回されていた日々、あのとき、おじいさんと職員はともに生きていました。だからこそ職員たちはもう一度ともに生きたいと願い、その気持ちが「大声出してよ」「歩き回ってよ」という言葉になったのです。

機能障害が、その人の「個性」になった瞬間です。

機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること』へ続く

機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること