「息子が突然正座になって泣きながら…」夏休みに露呈した「体験格差」の厳しい実態

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習い事や家族旅行は贅沢?子どもたちから何が奪われているのか?

低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」、人気の水泳と音楽で生じる格差、近所のお祭りにすら格差がある……いまの日本社会にはどのような「体験格差」の現実があり、解消するために何ができるのか。

発売たちまち6刷が決まった話題書『体験格差』では、日本初の全国調査からこの社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態に迫る。

*本記事は今井悠介『体験格差』から抜粋・再編集したものです。

昨年の夏、あるシングルマザーの方から、こんなお話を聞いた。

息子が突然正座になって、泣きながら「サッカーがしたいです」と言ったんです。

それは、まだ小学生の一人息子が、幼いなりに自分の家庭の状況を理解し、ようやく口にできた願いだった。たった一人で悩んだ末、正座をして、涙を流しながら。私が本書で考えたい「体験格差」というテーマが、この場面に凝縮しているように思える。

私たちが暮らす日本社会には、様々なスポーツや文化的な活動、休日の旅行や楽しいアクティビティなど、子どもの成長に大きな影響を与え得る多種多様な「体験」を、「したいと思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と、「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいる。そこには明らかに大きな「格差」がある。

その格差は、直接的には「生まれ」に、特に親の経済的な状況に関係している。年齢を重ねるにつれ、大人に近づくにつれ、低所得家庭の子どもたちは、してみたいと思ったこと、やってみたいと思ったことを、そのまままっすぐには言えなくなっていく。

私たちは、数多くの子どもたちが直面してきたこうした「体験」の格差について、どれほど真剣に考えてきただろうか。「サッカーがしたいです」と声をしぼり出す子どもたちの姿を、どれくらい想像し、理解し、対策を考え、実行してきただろうか。

子どもの必需品とは何か

社会政策学者の阿部彩氏は、2008年の著書『子どもの貧困』の中で、日本の一般市民においては、イギリスやオーストラリアといったほかの社会に比べて、「子どもが最低限にこれだけは享受するべきであるという生活の期待値が低い」と述べている。

阿部氏が紹介するイギリスの調査では、「趣味やレジャー活動」(90%)、「水泳(1ヵ月に1回)」(78%)、「1週間以上の旅行(1年に1回)」(71%)など、子どもたちの様々な「体験」に関わる項目について、大多数の大人が、子どもたちにとって必要なものであると回答している。

その一方、阿部氏自身が2015年に日本の大人を対象に行った調査では、「1年に1回の家族旅行(最低1泊)」(30.5%)や「スポーツ・チーム(野球、サッカー等)や音楽活動への参加」(22.0%)などの項目について、必要であり、すべての子どもが持つことができるべきであるとする回答が、相対的にかなり低い割合にとどまっていた。

ここからわかるのは、子どもにとって何が「必需品」であるのか?という問い、つまり、「たまたま恵まれた家庭に生まれた一部の子ども」だけではなく、「その社会に生まれたすべての子ども」が享受できて然るべきものは何か?という問いに対する答えや考え方が、それぞれの社会によってかなり違うということだ。ある社会にとっての当たり前が、別の社会にとっても同じであるわけではない。

私たち、日本社会で生きる大人たちの多くは、子どもたちにとっての「体験」の機会を、いまだ「必需品」だとは見なしていないのだろう。阿部氏の調査では、泊まりの旅行、スポーツ、音楽活動への参加などについて、「あったほうがよいが、持てなくても、いたしかたがない」、「必要ではない」という回答が大多数を占めている。

もちろん日本でも、自分自身の子どもに対して様々な「体験」を与えたいと願い、実際にその機会を与える親は数多く存在する。だが、それがあくまで個々の家庭ごとの話にとどまっている限り、裕福な家庭に生まれた子どもたちはともかく、低所得家庭の子どもたち、あるいはその他のハンディキャップを抱えている家庭の子どもたちは、誰からのサポートも得られずに置き去りにされるだろう。そして、実際に置き去りにされてきたのだ。

重要な分岐点は、この社会で生きる大人たちが、「私の子ども」だけではなく、「すべての子ども」に対して、「体験」の機会を届けようとするかどうかにある。「体験格差」をなくそうという意思を、社会全体として持つかどうかにある。

そもそも、日本社会が「子どもの貧困」という課題に向き合い始めたこと自体、それほど昔の話ではない。「子どもの貧困対策法」が施行されたのは、ようやく2014年になってからのことだ。そこから今年でちょうど10年が経つが、社会の課題認識という意味でも、必要な対策が十分に立てられているかという意味でも、まだまだ道なかばだろう。

その中でも、「体験格差」への関心や取り組みは、特に不十分だと言える。

つづく「習い事や家族旅行は「贅沢品」ですか? 低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」の衝撃」では、「子どもの貧困」という問題の中でも「体験格差」が見過ごされてきた現実や十分な現状把握自体がまだなされていなかったことなどについて語る。

習い事や家族旅行は「贅沢品」ですか? 低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」の衝撃