「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で”生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第3回

『『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく、介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由』より続く

尊厳と尊重、分かっていますか?

私は、生活支援の場ではあたりまえの生活はもちろんのこと、人それぞれの生活習慣やこだわりも大切にしなければならないと考えています。なぜなら、それが個人の尊厳や尊重に直結するからです。

個人の尊厳・尊重というといささか大げさに聞こえるかもしれませんが、言い換えればある個人が別の個人を、人として大切にするということです。何をどう大切にするのかといえば、その人がいままで生きてきた人生や生活の中でこだわってきたこと、大切にしてきたことを、その人がどんな状態になっても一緒に続けていく、または続けていけるようにする、ということです。

ところが年齢を重ねるにつれて、あたりまえの生活やその人らしい生活を脅かす事態が生じます。目が見えない、耳が聞こえない、手足が動かない、自分の子どもを見ても誰だかわからない、といった不具合です。こうした身体の障害、精神・知的の障害、視聴覚の障害、内臓が正常に働かなくなる内部障害を総称して「機能障害」と呼んでいます。

機能障害がその人らしい生活を脅かすのであれば、それらの障害をなくす、あるいは軽減することによってそれに対抗するという考え方があります。この考え方に基づいて「治療」という行為を行うのが医療の現場です。

ですから、医療現場での目標は治癒または回復です。つまり、その人をもとの状態(いわゆる正常)に戻すということが最高の価値をもちます。そのために手術や投薬などの処置、機能回復のためのリハビリテーション訓練などが行われます。

老いて病んで死んでいく人の価値を決めるものは?

ただし、医療現場で第一に優先されるのは「命を守る」ということです。人が生きるか死ぬかの瀬戸際で、その命を守ろうとする仕事はきわめて重要です。実際、日本では多くの国民が医療の恩恵にあずかっています。そして、医療技術の発達・発展にともない、昔なら死んでいた人が生き延びることができるようになりました。これはたいへん素晴らしいことです。

ところが、命だけは助かったけれど新たな機能障害が生じたり、もともとあった機能障害がより重くなったりすることがあります。患者さんが高齢であれば、その可能性はより高くなります。

「私、脳卒中や肺炎の治療は終わりました。でも、目が見えないんですよ。手足が動かないんですよ。息子が誰だかわからないんですよ、自分で食べられないしトイレにも行けないんですよ。そんな私がどうやって生きていけばいいんですか?生きていく意味、ありますか?」

お年寄りの皆さんは、それを全身で聞いてきます。目はうつろで、寝返りひとつ打てない全介助レベルのおじいさんも、1日中手をたたいてよだれをダラダラ流し、「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」と歌っているおばあさんも、全身で聞いてくるんです。

「老いて病んで、ただ死んでいこうとしている私に、お前たちはなんで近づこうとするんだ」と。

この問いに、私たち介護者は応えていかなければなりません。私はそこに医療技術がここまで発達した現代ならではの、新しいニーズがあると感じています。

『介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは』へ続く

介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは