「このままじゃ本当に駄目になる」…絶望の老後を過ごす人が今すぐやるべき「知恵の増やし方」

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元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。

※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

たくさん読んだ人が勝ちじゃない

読書家のなかには、自分は年に一〇〇冊以上読んでいるとか、これまでに数千冊読んだとか、誇らしげに冊数を語る人がたまにいます。

しかし、そういう人を単純に「すごい」と思わないほうがいい。ひとことで「多読」といっても、本の内容や読み方によって意味合いは違ってくるからです。

私は、多読することだけがよいとは思っていません。若い人に対しては、

「できるだけたくさん本を読むほうが、得られる知識は多くなり、視野も広がるだろう」

とアドバイスしますが、人生経験を重ねてきたシニア世代の方々に言うのは、

「冊数にこだわって読書をする必要はありません」

なぜなら、人生の持ち時間は決まっているからです。

私自身にも言えることですが、これから先の時間には限りがあるのだから、本当に読みたい本だけ読むしかないのです。

その意味では、手にする本をみな精読する必要もありません。本によっては飛ばし読みでかまわないものもあるでしょうし、必然の精読というものもあります。どういう読み方をするかは、本の内容に応じて自分で決めればいいのです。

読んでいてつまらない本、繰り返し読んでも頭に入ってこない本は、それ以上読むのは時間の浪費。「せっかく買ったのだから最後まで読み切ろう」などとは読書家の言うことではありません。

『善の研究』に挫折した

かく言う私も、若い頃にはそういう「潔い」本の読み方をしていませんでした。

学生時代、『善の研究』などで知られる哲学者の西田幾多郎の本を読んだことがあります。「仏教思想と西洋哲学の融合を試みた、日本を代表する独創的な哲学者」という評価が頭にあるものだから、きっとすごいことが書いてあるに違いないと思っていました。

しかし、なかなか理解できない。二度も三度も読み直しましたが、そのたびにすぐ眠くなってしまうんです。結局、途中で読むのをやめてしまった。当時の私は、理解できないのは自分の頭が悪いせいだと思っていました。

しかしその後、多くの本に接し、人生経験も積むうちに、考え方が変わりました。

いくら読んでも理解できないような本は、読み手にわかりやすく伝える技術と配慮が足りないのではないか。書き手自身の理解力を疑う、自分の書いたものが他人の目にどう映るか考える、という客観的な視点や想像力も欠けているのではないか--と。

こう考えるようになってからは、無理して読み通すことをやめる本もあります。

もちろん、読み手の理解力が及ばないことはままあるので、何でもかんでも「わからないのは書き手が悪いからだ」と決めつけるつもりはありません。

しかし総じて言えば、ある程度の読書経験がある人がいくら読んでも理解できない場合、著者や翻訳者に問題があることも多いものです。

歳を重ねるにつれて読める本の数は限られてくるのだから、時間がもったいない。評判の本だからといって無理して付き合うことはありません。

さらに連載記事〈ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。

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