なぜ人間は「異世界」にこんなに惹かれるのか…100年前、ひとりの人類学者が見つけた「決定的な答え」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

現場主義の人類学者

どのような分野であれ、人は何かを知りたいと思ったとき、まずはこれまで先人たちが残してきた書物を探します。そして目的のことが書かれている本や文献、資料にあたれば、たいていのことはイメージが掴めるでしょう。

しかし、それで本当に知りたいことの「すべて」が理解できるわけではありません。異国の人々を知ろうとする人類学ならば、なおさらです。遠く離れた場所に住む人たちのことは、本だけでは分かりません。どうしても理解できない部分がモヤモヤと残ります。それならば実際に現地に行って、見てみることで、謎は解決に向かうはずです。そして現地での滞在は短期ではなく、長期に及ぶほど理解は深まるでしょう。

そのことを人類学の中で突き詰めた人がいます。ポーランド生まれのブロニスワフ・マリノフスキです。彼はフィールドに出かけて長期間にわたって現地に住み込み、その土地の言語を身につけて調査を進めました。

マリノフスキは現地の人たちが行っている行事や儀礼、仕事、その他の様々な出来事に参加(参与)しながら観察を行う「参与観察」という手法を編み出しました。この参与観察は、現在でも人類学において非常に重要な研究手法として受け継がれています。彼は現場主義に徹した最初の人類学者だったのです。

安楽椅子学者への強烈なアンチ

そもそも前章で触れたように、19世紀から20世紀にかけての人類学では、文化を直進的に進化発展するものとして捉える「文化進化論」が優勢でした。19世紀の人類学者たちが「安楽椅子の人類学者」と揶揄されたように、彼らは探検家や旅行者、宣教師などによって記録された二次資料に基づいて、机の上で仕事をしていたのです。

文化進化論の目的は、文化の諸要素を当該社会の全体性から切り離して比較し、時間的な前後関係に並べ替えることでした。要するに、文献で得た情報をつなぎ合わせるパッチワークです。

ですが、頭の中だけの世界に終始するそうした方法には限界があります。これまでの研究手法を退屈に感じ、不満を抱いていたマリノフスキは実地に調査に出かけて、文化をより深いところで捉えようとしたのです。

マリノフスキは、共同体を外から眺めて「ここの社会はこうなっている」と表面的に断じることをしませんでした。むしろ内部に潜入して、自分の目の前で起きていることの細部にこだわりながら記録し、人間が生きているさまを生々しく描き出したのです。彼の生み出したやり方をひとつのモデルとして、20世紀の新しい人類学のスタイルが切り拓かれたのです。

目の前で繰り広げられている出来事をその場でわしづかみにするフィールドワークは、社会が儀礼や経済現象、呪術などが複雑につながり合ってひとつの統合体として成立していることを教えてくれます。そしてマリノフスキはその複雑なつながり合いを「機能主義」として理論化し、旧来の人類学を打ち破りました。マリノフスキは、人間の生きている全体をまるごと理解することを提唱したのです。

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