新規の国債買い入れをいっさい停止しても、異次元緩和の「出口」を抜けるには最低10年かかる。植田日銀を待ち受ける金融正常化までの途方もなく長い道のり

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「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」

元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。

黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった(24年3月末時点)。引き継いだ植田日銀は、11年に及んだ異次元緩和を終了し、2024年7月には月間の国債買い入れ額をそれまでの6兆円程度から2026年1〜3月期に3兆円程度に減らす方針も決めた。しかし、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。

財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか?

※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。

正常化の完了には最低10年かかる

日本銀行が持つ国債保有残高の圧縮にどれほどの時間がかかるかを、試算してみよう。中央銀行の市場介入を抑制し、市場機能を完全に回復する作業と言い換えることもできる。具体的には、約561兆円に上る日銀当座預金を「平時」の水準に戻すことである。

この場合の「平時」の水準とは、法律上の準備預金制度で定められた当座預金を含め、金融市場が日々の決済を円滑に回していくうえで必要とする当座預金の水準をいう。現状でいえば、30兆円もあれば十分だろう。そこまで当座預金残高を圧縮した時点で、真の正常化が完了する。

資産の圧縮がなぜ重要かを、市場機能の観点からも付け加えておこう。株式市場を例に考えてみるとわかりやすい。

株式市場の市場機能とは、株価の上下動を通じて企業の経営を牽制し、経営がうまくいかないときは株価の下落や株主による総会議案への関与を通じて経営の是正を促すことである。この場合、株価を決めるのは、新規の株式発行に対する需給だけではない。既発行の株式が売買予備軍として常に潜在していることが、市場機能発揮の基礎となる。

同様に、国債市場の市場機能を貫徹するには、既存の国債保有者がいつでも国債を売れることが重要だ。株式の場合は議決権の行使を通じて会社に対して意思表明をする道も残されているが、債券の場合は議決権の行使といった手段は存在しない。「途中売却をせず、満期を待って残高を落とす」ということ自体が、もともと百歩譲っての話である。中央銀行にとっては、国もあくまで一市場参加者である。市場機能の働かない保有形態は望ましくなく、これまでの買い入れが財政ファイナンスに酷似しているといわれる所以である。

2024年3月末のバランスシートを起点に、約561兆円ある日銀当座預金残高を「平時」の約30兆円に戻すことを仮定して試算してみる。金融正常化の過程では、民間金融機関が日銀に保有する当座預金だけでなく、外国中央銀行が日銀に保有する預金(2024年3月末残高約38兆円)もかなり縮小すると考えられるので、これを含めてざっくりと試算すれば、バランスシートは全体として約590兆円の縮小が必要となる。

これに見合う資産サイドで、国債以外に減額可能なのは、CP・社債の計約8兆円と貸し出し約108兆円である。これをもとに試算すると、国債残高を約470兆円減らすことで、ようやく正常化が完成する。

図表6−4は、日銀保有の国債の各銘柄がいつ償還を迎えるかを確認し、累積金額で表示したものだ。圧縮したい総額を横軸に沿って辿れば、完了に何年かかるかが分かる。2024年3月末時点のバランスシートを前提とすれば、約470兆円の圧縮には10年程度かかる。それほど、これまでの長期国債買い入れは巨額、かつ長期資産に偏ったものだった。

悩ましいのは、この試算の前提が、正常化完了までの間、いっさい新規の国債買い入れを止めたうえでの話であることだ。長期金利が大きく上昇しても、新規国債の消化がうまくいかなくても、日銀が市場買い入れを行わない前提は、現実問題としては難しい。日銀には金融市場の安定を守る責任もある。だからといって、例外的な買い入れを多用するのは、市場機能の回復と矛盾する。これこそが、異次元緩和が残した負の遺産である。

日銀にとって、市場からの国債買い入れをすべて停止して、残高を圧縮するのは、きわめて厳しい。その理由を詳しく考えてみよう。

出口戦略に立ちはだかる壁 国債買い入れ停止に伴う課題

第1に、短期金利の引き上げや日銀資産の圧縮は、ただちに長期金利や為替相場、貸出市場などに波及し、あらゆる経済主体の経済活動に影響を与える。異次元緩和があまりにも長く続けられたため、多くの家計や企業の活動の中には、資金の借り入れ易さや超低水準の金利ががっちりと組み込まれてしまった。

異次元緩和が長期化する過程で、変動金利の住宅ローン借り入れが急増した。ホテルや旅館業界はこのところの円安を眺めて、金融機関から低利の融資を受けて、設備投資を拡大させてきた。金利上昇が進めば、資金繰りに苦しむ企業を中心に、倒産が増えるだろう。住宅ローンの借り手も、返済計画を見直さざるをえないかもしれない。

これらのプロセスは市場機能を回復させる過程では避けがたいものだが、急激な政策変更は社会を混乱させるおそれもあり、日銀自身も慎重に事を運ばざるをえない。金利の引き上げが緩やかにならざるを得ない理由である。

第2に、日銀が先行き10年間、新たな国債買い入れを停める場合、誰が国債市場に追加の資金を供与するかという問題がある。頭の体操をしてみよう。

日銀保有国債の満期到来時には、市場で新たに借換債が発行される。こうした借換債の消化だけであれば、市場で吸収可能だろう。日銀のバランスシートでいえば、資産サイドの保有国債の減少見合いに、負債サイドの日銀当座預金が減少する。これを民間金融機関の側からみれば、これまでやむをえず日銀当座預金に預けていた資金を引き出して、市中で他の資産に運用することを意味する。その総額はもともと日銀が保有していた国債の満期到来分に見合うものであるため、民間金融機関にちょうど借換債を購入するだけの資金余力が生まれることになるわけだ。

問題は、政府が新たに発行する新規国債の消化だ。従来は経済成長に伴って銀行預金が増え、その一部が新規の国債購入に充てられてきた。しかし、日銀が日銀当座預金を圧縮する過程では、銀行預金は増えにくい。もともと銀行預金が過半を占める「マネーストック」と、日銀当座預金と発行銀行券の合計である「マネタリーベース」の間には一定の関係があった。異次元緩和の過程では、定量的な関係は劇的に薄れたが、定性的な関係までが壊れたわけではないだろう。日銀当座預金が減れば、銀行預金もわずかながらも縮小する可能性が高い。

実際、2006年の量的緩和の解除時には、銀行預金が減少した。その際、新規の国債の購入を増やしたのは海外投資家だった。今回も同様の展開が予想されるが、いかんせん当時とは規模が違う。

第3に、政治圧力の高まりが金融の正常化に立ちはだかりかねない。金融政策の変更に伴い国債費が増大すると、中央銀行には、政府の資金繰りへの支援を求める圧力がかかりやすい。世界の中央銀行が抱える悩みだ。これを避けるための人類共通の知恵が「中央銀行による財政ファイナンスの禁止」だった。日本でも、財政法第5条が国債の日銀引き受けを禁じてきた。以前の日銀も、長期国債を野放図に買い入れることにならないよう、「銀行券ルール」という制約を自らに課していた。

これらの規律をみずから緩めたのが、日銀の異次元緩和だった。どんなに「金融政策の目的で行うものであって、財政ファイナンスではない」と強調しても、国債の大量買い入れが財政規律の箍を緩めたことは間違いない。これからの日銀の役職員は、政治から何かにつけ「日銀が国債を買うべきだ、異次元緩和でやったことをやれないはずはない」と、迫られることになるだろう。

2024年7月、日銀は先行き2年弱にわたる長期国債買い入れの減額計画を公表した。この計画に従えば、26年1〜3月の買い入れ額は月3兆円程度となり、日銀の国債保有残高も、償還額との差し引きで、やはり月3兆円程度のペースで縮小する計算となる。仮に、この残高圧縮ペースが2年後以降も維持されるとすれば、正常化の完了、すなわち国債保有残高が約470兆円圧縮されるのは、早くて14年後の2038年頃となる。

途方もない長期のプロセスであると同時に、時間が経つにつれて国債市場では買い手不足が強まるおそれがある。そうした中で、長期金利が上振れする場面が来れば、「金融機関の資金繰りの安定には多額の日銀当座預金が必要」といった新たな理屈のもとに、外部から「日銀はこれに見合う高水準の長期国債保有が必要」との声が高まることになるだろう。しかし、この議論は慎重な吟味が必要だ。

金融システムの安定が保たれている限り、円滑な金融調節の観点からも金融機関の健全性確保の観点からも、日銀当座預金は法定準備預金を若干上回る程度の残高があれば十分だ。日銀による長期国債の保有も、当座預金見合いに多額を有する必要はなく、発行銀行券に見合う程度の残高があれば十分である。

「日銀による高水準の長期国債保有が必要」との主張は、結局、異次元緩和下の長期国債の買い入れが財政ファイナンスであったことの追認にほかならない。いったんこれを追認してしまえば、将来、類似の理屈をつけて、日銀に巨額の国債買い入れを求める声がますます高まるだろう。後世の国民と中央銀行職員に負の遺産を引き継ぐことのないよう、矜持を明確にすべきときが来ている。

*本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。

異次元緩和の出口に待ち受ける「途方もない困難」 植田日銀は「永遠の金融緩和」への圧力に耐えきれるか