どの会社にもいる、部下の仕事に口出しする上司の「失敗の正体」

写真拡大 (全2枚)

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

五重の苦労:過干渉と心労の切っても切れない関係

重要な仕事を部下に任せる局面を想像してみよう。

ふと部下がコーヒー片手に仕事しているのが気になる。緊急の仕事だと伝えたはずだがコーヒーを買いにいく余裕があるのは百歩譲ってまあいい。でも、そのコーヒーをまさか契約書にこぼさないよね、などと想像が膨らみイライラが止まらなくなる。

案の定、部下のコーヒーが机にこぼれる。私の人生はいつもそうだが人間が想像する良いことはなかなか実現しないのに、悪いことはすぐに実現するものだ。

なんとか書類は無事だ。「ちょっとっ」と思わず声が出る。部下はきょとんとしている。心をなんとか落ち着かせ、「……こっちで一緒に作業しようか」と提案する。なんだか部下は嫌そうだ。「こっちは善意なのに」と思ってもしょうがない。自分が我慢すればいいんだと自分に言い聞かせる。

こうして部下と一緒に作業することで少しは安心できるかと思いきや、近くで作業すると、部下が作成した文書の文字の大きさやフォントのズレ、ダサい図表などが気になってしまう。コピーの枚数ひとつ取っても予備分を用意していない部下のあまりの大胆さが心配になる。仕方なくあれこれ細かい指示を出す。

こうして部下に対して細かく指示すると、そのたびに部下の作業を中断して集中力を途切れさせてしまう。部下からすれば作業に集中できないために仕事の質とスピードが落ちる。こちらもこちらで、しょっちゅう別のことに気を取られて本来の仕事が進まない。

ステーキを食べつつパソコンで作業をするのが至難の業であるように(しかも満足度も低く、大惨事になること間違いなしだ)集中が分散する仕事は効率が悪くなる。仕事が終わらないため結局は上司の自分が補佐に回る。今日も深夜残業だ。

こちらは善意で部下の仕事をサービス残業でカバーしているのに、部下には「やたら細かいことにうるさい上司」「何も任せてくれない上司」として嫌われる喜劇的状態の出来上がりである。頑張っても報われない。成果の代わりに心労を積み上げているだけだ。

このように対部下過干渉型の人は、なまじ周囲の行動の先を予測してしまうために、頼まれてもいない他人の心配をし、同じく頼まれてもいない先回りの手助けをして、手助けをしたことで別の行動の結果予測へと関心が移り、また別の心配から別の先回りの手助けをする……というループにはまり込む。

ここに、「経営の欠如」が見て取れる。

もちろん、こうしたタイプの人は「仕事が丁寧な人」であることは間違いない。しかし報われないままに心労を抱えてしまうと(心労の種を見つけるやいなや自分から猛ダッシュでレシーブしにいっているのだが)やがては病んでしまうという悲劇に見舞われる。重要な仕事で神経が張っているときには誰にでもそうした危険がある。

最近では感受性が高すぎる人について描いた書籍が流行した(学術的には議論が続いているが、「HSP」や「繊細さん」といった言葉を耳にした方も多いだろう)。そうした人たちは「高感度のセンサーを持っている」という意味で本来は特殊な才能の持ち主だ。

だが心労を経営していく心構えがなければ、こうした才能はむしろ生きづらさの原因になってしまうだろう。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い