メールの件名を「Re.」で返すのは無礼?他人のことが気になりすぎる人の「心労の正体」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。
※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
誰しも他人の言動が気になって身動きが取れなくなる瞬間がある。
私の場合、大昔に読み漁った文章読本の類を今でも気にしてしまう。現にいまも、いつか読んだ「同じ語尾が連続すると辟易する」「脱兎のごとくという比喩は陳腐」「……なのだ。と書いてあるとバカボンのパパかと思う」という辛口批評を恐れて何十回も推敲してしまい、執筆に予定よりも大幅な時間が必要になっている。
こうして本来の目的の実現は遠のいていく。
多くの場合、「気にしすぎ」は経営の失敗で生まれている。
たとえば(私を含む)多くの人に身近な例として、取引先からメールの返信がなく、不安になって返信催促メールを送ってしまう場合を見てみよう。
催促したにもかかわらず先方からはいっこうに返信はない。手持ち無沙汰を紛らわせようとメールのやり取りを読み直す。相手の名前をネットで検索してみる。そのうち相手がSNSで「メールの返信で件名をRe.で返すのは無礼」と書き込んでいるのを見つける。
すると、自分が常に返信の件名を「Re.」のままにしていたことが気になりだす(なお、Re.はReply/Responseの略ではなくRegardingの略だともいわれ、話題が続いている限りは失礼にならないどころか便利だという意見も多い)。
こうなったら居ても立っても居られない。
早速お詫びのメールを送信する。それでも返信はこない。
どうやら嫌われてしまったらしい……。こうなったら直接お詫びに出向かなければ、と、気が気でなくなる。さっそく「非礼の数々を直接お詫びしに伺いたい」とメールする。
突然、電話が鳴り響く。例の相手からだ。
すぐに電話に出て開口一番「すみませんでしたっ」と謝るが、相手はピンときていない様子。「いやあ、休暇で山奥の旅館に泊まっていたもので、パソコンもスマホも触ってなくて。たくさんメールが来ていたからびっくりして」などと逆に謝られたりする。
ようするに自発的に最悪の状況の想像をして、自分から心労を抱きかかえにいく状況に陥っていたわけだ。我々は気が付かないうちにこうした喜劇を演じる。
つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。