8万6400日では、まったく足りませんでした…なんと、1秒の誤差を「億年」レベルに高めた原子時計をうわまわる「光格子時計のあっぱれ実力」

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「冷やすメカニズム」を根底から覆す冷蔵庫、意外な魚のおかげで完成した高温でも触れるレンガなど、なぜできたの? どうやって働くの? と、思わず頭をかしげてしまうようなびっくり発明の数々をご紹介してきた、本サイト人気連載「さがせ、おもしろ研究! ブルーバックス探検隊が行く」。

なんと、1世紀半近くにもわたって日本の産業支えてきた「産業技術総合研究所」の全面協力のもと『「あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション』として刊行!その中から厳選おもしろ発明をご紹介します。

今回は、誤差2億年で1秒でも、まだダメだった!…超高精度の光格子時計の開発をレポートします。それほどの高精度、なぜ必要なのでしょうか? じつは、次世代の精密な「秒」の定義をめぐって、世界的に熾烈な競争がはじまっていたのです。

*本記事は、『「あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。

時間はどうして「1つ」なのか

新しい年を迎えるカウントダウンが盛り上がるのは、当然のことながら、その場にいるみんなが同じ「時間」を共有しているからだ。これがもしも、

「僕の今年は、あと3秒で終わりだ」

「私の今年はまだ5秒もあるわよ? あなただけ2秒も早く新年がくるなんて、ずるいわ!」

なんて会話があちこちでかわされるような状況だったら、恋人たちのテンションもそれほどには上がらないだろう。

では、みんなが共有する「時間」とは、いったいどこで生まれているのか、みなさんはご存じだろうか?

イギリスのグリニッジ天文台が世界の標準時を決めていると学校で教わった?

そう、ある時代まではそうだった。世界には「世界標準時」という基準となる時があって、これがあるおかげで、たとえば日本とアメリカの時差は何時間、ということが決められる。そして、その標準時は天文台で、すなわち天体の運行を観測することで決められているーーじつは、探検隊員も学校でそう教わっていた。

しかし、どうやらいまは、グリニッジ天文台で世界標準時が決められているわけではないらしいのだ。そして何が「時間」を決めるかは、これからどうなるか、わからないのだとか!

いったいどういうこと?

探検隊は、時間についてのこんな、知っていそうで知らなかった根本的な疑問の答えが、またしても産総研にあるらしいとの情報をキャッチした。しかも産総研では、何やらすごい時計がつくられているらしい、とも……。われわれは探検を開始した。

現在の「時間」を決めている時計とは?

単刀直入にお伺いしたいのですが、世界の標準時というものは現在、どのように決められているのですか? もうグリニッジ天文台ではないらしいですね?(探検隊)

いつものように低姿勢なくせに不躾なわれわれに対応してくれたのは、産総研・計量標準総合センターの時間標準研究グループで主任研究員をつとめる小林拓実さんと赤松大輔さんだった。どちらもバリバリの若き物理学者である。

「いまは〈世界の合意〉によって協定世界時が形成されています。昔は、天体の動きに従っていましたが、現在は天体の動きよりも正確な、原子の振動を基準にしています」(小林さん)

世界共通の時間を決める歴史とは、言い換えれば、1秒をどのように定義するかの歴史でもあった。またカウントダウンのカップルにたとえれば、

「5秒たったね。僕たちの新年の始まりだ」

「はあ? こっちはまだ4秒しかたってないけど? なに自分だけ新年迎えてるわけ?」

という険悪な状況にならないように、1秒の長さは厳密に決めなければならない。そして、厳密であればあるほど、その決め方は信頼を得られ、世界共通の時間の決め方として採用されるわけだ。

1956年までは、1秒は地球の自転をもとに、1秒=1/8万6400日と定義されていた。これは10のマイナス8乗程度の精度だった。つまり、0.00000001の位まで狂わないということだ。

次に、太陽のまわりを回る地球の公転から定義しなおし、1秒=1/3155万6925.9747年と決められた。精度も10ケタ、つまり0.0000000001まで上がった。

ところが、1秒の定義のしかたが、根本から変わった。

天文観測から原子振動へ

1967年、1秒の定義のしかたは、これまでの天文観測を基準とする方法から根本的に変わり、セシウム133原子の固有の振動から定義することになった。セシウム原子時計の誕生である。

「考え方自体は、昔と変わりません。振り子時計は1秒間に1回、振動する数を数えていって、時計が進む。セシウム原子時計は、セシウム原子にある特定の電磁波と相互作用する性質があり、それを利用して振動数を数えていく。ただ、一定数の振動を1秒として定義するなら、より細かく振動してくれる原子のほうが、より精度の高い時計となるというわけです」(赤松さん)

それから50年をかけて原子時計の精度は上がっていき、現在はついに16ケタまで到達した。0.0000000000000001の精度、ということだ。別の表現をすると、3000万年から2億年で、1秒くらいのズレが生じるだけの精度なのだという。

このセシウム原子時計が、いまは協定世界時を決めていて、カウントダウンのカップルの仲をとりもってもいるのだ。

「みなさんがお使いになっている腕時計も、そのまま放置しておけば、徐々に時間が狂ってきます。その狂いを修正するために、各国に標準時が存在します。日本では、水素原子の共鳴周波数というものにもとづいて1秒の長さを決める水素メーザー原子時計によって決められています」

「しかしこの時計も、厳密にいえば少しずつ狂いが生じてきます。したがって、その狂いをチェックする時計が必要となります。現在はその役割を、セシウム原子時計が担っているわけです」

小林さんの話を聞いて、隊員の一人に、ある記憶が蘇ってきた。

基準単位のなかでも、とくに細かく計れる「時間」

2019年5月に、国際単位系(SI)の基本7単位のうち、質量(キログラム:kg)、電流(アンペア:A)、温度(ケルビン:K)、物質量(モル:mol)の4つの定義が改定されたとき、同じく産総研の計量標準総合センター長・臼田孝(うすだ・たかし)さんの研究室を探検したことがあった。

そのときはたしか、1kgの分銅に1億分の5程度の誤差が見えてきたから改定に至ったということだった*。これは、10のマイナス8乗の精度だ。

*参考:この時の取材記事がこちら〈まもなく、「キログラムの定義」が変わる日がやってくる〉

つまり、時間の標準は現在でもすでに、このキログラムの定義よりも8ケタも高い精度を誇っている。この圧倒的な精度こそが、「時間」計測の特徴だ。キログラムやメートルなど、基準単位のなかでも、とくに細かく計れるのが時間なのだ。

ところが、この2人はその時間計測をさらに、精緻化しようとしているという。

どうしてそんなに高精度に?

「いま、各国が決めたその国の標準時を、人工衛星を使って、セシウム原子時計が示す世界標準時に合わせています。ところが、ここへきて、セシウム原子時計よりも、さらに2ケタ、つまり100倍高い精度をもつ、新たな時計のアイデアが出てきました。それが光格子時計(ひかりこうしとけい)です」

「いま各国は、セシウム原子時計に替わって標準時をチェックし、1秒とは何かを再定義する時計として、この光格子時計の開発にしのぎを削っている状況なのです」(小林さん)

出た、光格子時計!

じつは隊員たちだって、その名前くらいは聞いたことがあった。なにやらすごい、ノーベル賞級の研究だとも。しかし、その名前の文字面だけでは、光の格子ってなんなのか、それがどうして時計になるのか、まったくイメージができない。そんなものを

相手にしなければならないこの探検は容易ではないぞと、隊員たちに緊張感が走った。

そもそもこれだけ精度の高い時計をなぜ、さらに2ケタも高精度にする必要があるのでしょうか?(探検隊)

「じつは、セシウム原子時計を採用するときも、同じようにいわれていました。そんなに高精度にしてなんの役に立つの、と」

「時計はもともと、天体の動きと同調して時間を計測することができれば事足りていたのです。しかし、より精度の高い時計ができることによって、新しい技術が発達してきました。たとえば、カーナビなどで位置情報を正確に得られるのは、セシウム原子時計が人工衛星に積まれているからです。地上の誤差数十センチという精度は、セシウム原子時計がなければ実現しません」

「でも、セシウム原子時計ができたときには、誰もこんな使いかたができるとは考えていなかったわけです。光格子時計が実用化された10年後には、いまでは想像もつかない、あっと驚くような技術が出てくるかもしれませんよ」(赤松さん)

光格子時計とはどんなものなのか

時計がわれわれの生活をガラリと変える新技術を実現するかもしれない……。そう考えるとワクワクしてしまうが、そのセシウム原子時計を2ケタ上回る精度の「光格子時計」とは、どのようなしくみなのだろうか。

「光格子時計の原理は、2001年に香取秀俊さん(現・東京大学教授)が提案し、2005年に実現させました。産総研でもこの技術をもとに、実用化に向けた研究をしています。光、つまり電磁波というのは、電磁場の振動です」(赤松さん)

光格子というのは、レーザー光を重ね合わせたときにできる波(これを定在波という)の「腹」(波の振幅のもっとも大きなところ)が、格子状に並んでいる状態(図「光格子のイメージ」)からきている言葉なんだそうだ。

格子状に並んだ光の〈器〉を用意して、そこに、計測する原子をトラップして、原子の動きを止める。これにより、振動数を測りやすくしている。原子が動いてしまうと、ドップラー効果によってズレが生じてしまうので、振動を正確に測ることができない。原子の動きを止める光格子をつくる技術が開発されたことが、大きな発明だったのだ。

「香取さんのすごいところは、一度に1000個の原子を格子状の〈器〉の中に入れて計測の時間を縮めていることです」(赤松さん)

「魔法波長」のレーザー光!?

そこらじゅうを飛び回って動く原子を、格子状の〈器〉に閉じ込めるポイントは、香取さんが発見した「魔法波長」のレーザー光だという。

原子はそれぞれ異なる電子状態を持っているのだが、レーザーを当てると、せっかく光格子で捕えた原子それぞれのもつ特定の周波数に、変化が生じてしまう。その変化は、計測にとってはズレを生んでしまう邪魔なものだ。香取さんは、その変化をゼロにできる、まさに魔法のような波長を見つけたそうだ。

「通常なら、数百ミリワットのレーザー光を当てると原子の状態が変わるはずなのですが、魔法波長のレーザー光を当てると影響を受けないのです。原子にとっては、捕まっているのに何も感じていないような状態で、観察者はこの間に、原子を計測できるというわけです」(赤松さん)

こうして、小林さんや赤松さんの話を聞いていると、光格子時計がいかに高精度なのかがよくわかる。

しかし、そうなると、光格子時計とはどのようなものなのか、実際に見てみたくなってきくるもの。隊員の誰からともなく、言葉が漏れた。

「ちょっと見せてもらえますか?」

*研究者の肩書き・所属は探検時のものです。

「あっぱれ! 日本の新発明 世界を変えるイノベーション

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